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019 歓喜と祝福 |
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個性としての人間が心から喜べるものは自己拡張を果たした瞬間であります。 個人的な喜びは自己認識の枠の中だけの喜びであり、その喜びが歓喜となる為には、自己限定の殻を打ち破る必要があります。 何故なら個人的な人間の喜びにも慣れ親しみがあり、停滞せる同種の喜びは人間の感覚も麻痺をして惰性的な慣習となって、喜びが素直に喜べない不感症となりがちであるからです。 つまり個人的な喜びには認識内の限界があると言うことです。 この限界を超越する為には悟りの境地に立たなければならない。 しかも悟りには努力精進の頻度による階梯があるのです。 個我の悟りには利己的な限界があります。 開かれた世界観(個我の悟り)は認識の枠内(箱庭の中)に過ぎません。 この認識の枠を取り払う為には、意識が個我から全我に移行しなければならないのです。 個人的な意識を超越して、一人でも多くの人々の幸福を想う心が貫かれたなら、個人的な歓喜は全体的な祝福となって、魂の性質そのものを昇華させるのであります。 祝福の念には限界がありません。 時間的な制限もなく、空間的な制約もなく、個人的な縛りも無いのです。 他人の幸せを想い描ける人は、自ずと精神が次元上昇を始めるのです。 何故なら祝福の祈りは創造主の本体でもあるからです。 創造主は総ての世界を祝福によって創造されたのです。 その創造主の祝福と同じ意識を魂に懐くということは、神の子の自覚を心に懐くことと同義なのであります。 離れて暮らす我が子を大切に想う親心は、祝福の心に至ることで魂の昇華を果たすのです。 子供達の不遇を予想することは、思念の力で悪しき境遇を子供達の前途に想像(創造)することになります。 その不遇予想の念派が一人歩きをしながら磁石的力量を発揮して子供達の足枷となるのです。 言葉には想像するものを現象化する力があります。 大切な想いを誰かに投げ掛けるなら、福多き未来を想い描く貴方でありますように…。 歓喜は個人的な思いであるが祝福は全体的な想いであります。 この個人的歓喜と全体的祝福を融合した生き方こそ、徳性開発を心掛ける光明の天使たちの基本姿勢になるのです。 |