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020 怒りと叱り |
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感情には怒りという思いがあります。 この怒りは憤怒となり激怒となって周囲への恫喝を現わす感情となります。 自分の心を自己統制することが出来なければ、まるで怒りの感情は堤防が決壊したように、止めどなく溢れ出してまいります。 その無統制の濁流を止めることは難しく、その熱りが冷めるまでは誰も(自分さえも)手が付けられない状況が続くのであります。 こうした怒りの感情が発生する要因は、それまで無秩序に放置した精神性に原因があるのです。 特に怒りは心の堤防の低さを表していて、同時に感情の水底の浅さも表しています。 心の堤防が低いと言うことは忍耐力が低いと言うことであり、感情の水底が浅いと言うことは器量が浅いと言うことであります。 怒りの感情は思念が司る個我意識である為、人間としての精神面を強化しなければ自己統制が難しい部分である。 怒りの感情が暴れ馬の如く手が付けられない状態であるなら、堤防(忍耐力)を高める努力をしなければならないし、水底(器量)に溜まった汚泥物を底浚い(反省回顧)しなければならないのです。 つまり怒りの感情に振り回される人間は、自己反省が足りないが為に、感情の其の場凌ぎが多くなると言うことであります。 徳者は常日頃から反省回顧を繰り返して心の堆積物を底ざらいしております。 更に徳者は常日頃から忍耐力を高める訓練(基礎研鑽)を積み重ねております。 そうした人格者であればこそ自分の感情を自己統制して、そこに知性と悟性を使い分けながら、怒りの感情(思念)を理性(想念)に変えて、怒りを叱りに変換することが出来るのであります。 叱りとは相手の現状の立場を考慮した提言であり、冷静な判断で理路整然と状況を説明する改善である。 利己的な人間は怒りに支配されたまま感情に振り回される人生となるが、利他的な人間は怒りを克服して三相応(人・時・所)に適った改善策を提言することが出来るからこそ、怒りの感情を叱りの愛情に変えられるのであります。 これは人間としても生長した姿であり、自分自身の感情すらコントロール出来ない迷妄者は、社会人としても秩序を守ることが難しいし、調和を保つことも難しいと言うことであります。 現代人にとって感情の克服は最重要課題である。 この部分(感情の克服)を放置するなら時代は再び混沌の渦の中に埋没するでありましょう。 |