051 多様な人間関係は中学生で

 

人間は時に強く、時として弱く脆いものです。

或る程度の忍耐力が無いと、社会人としての普段の規律さえ守れなくなります。

体調の良し悪しに関わらず、心境の如何に関わらず、普段の自分を崩さないまま他者との対応に尽くすことが、社会人としてのモラルでなければならないのです。

公私の区別は社会人の基本であります。

この社会人としての基本(規律)が近年では蔑ろになってまいりました。

俺の自由だ…と肩で風を切る自由人はドラマの中だけで十分であります。

私の好き勝手でしょう…と自由奔放に振る舞う自由人も映画の中だけで十分であります。

先見的な若者が求める自由とは、物質文明の負の遺産の呪縛から解放される魂の自由であります。

縛られた固定観念は、高度成長期から好き勝手に生きてきた大人たちの忘れ形見である、

その忘れ形見を未だに握りしめた(しがみついた)まま生きている迷妄者が都会には溢れています。

集団生活の中に在りながら公私の区別よりも個人の自由を優先する者が街に溢れていたなら、そこに人間モラルを維持継続させる秩序も調和も期待できないでしょう。

そうなると強権者による強制的な治安維持に武器兵器を使用する迷妄者も出てくるのです。

もはや相互の対人関係には生身の人間関係ではなく、物質世界に存在する物の一つが他人と成りがちである…。

そこに巻き起こる事実は数々の歴史が証明した通り、解決策に戦争を採用した人類の憐れな末路が用意されているのです。

戦争を採用した人間性をよくよく観察してみれば、もはや物事の良否が勝敗を決めるのではなく、力量の強弱が勝敗を決するようになっている。

真実が如何にあれど勝者が善であり敗者は悪とされる戦争解決が、良識ある人間の判断基準では有り得ないのです。

力量の強弱が勝敗を決するなら、自然界に展開する食物連鎖に準ずる動物的解決が人間の知恵であると言うことになります。

人間が万物の霊長に成り得る為には、全てを統べる智恵が調和を齎す方向に使用されなければならないのです。

その智恵は歪んだ固定観念の塊になる前に育んでおかなければならない。

その最も良い時期は、幼少期に育んだ道徳の基礎を用いて、新たな人間関係が急速に展開する中学生の時期に、多様な人間関係に於ける正しい調和を人徳として育む必要があります。

 

 

 

39 霊性開示 【新創世記編】