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057 人格完成への道 (儒教) |
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また一つ世界宗教の流れとして古代中国発祥の儒教が存在します。 孔子が説かれた数々の真理は、その性質上は宗教に該当しないかも知れませんが、中庸の教理は仏教に於ける中道精神と同じ教えであり、天と仁の教理はキリスト教に於ける神の愛と同じ教えであります。 孔子自体は宗教家の教祖のような立場ではありませんでしたが、透徹した真理保持や高潔な人間性などは、誰から見ても人として尊敬に値する人格者でありました。 つまり孔子は人類の最高の教育者であり、全ての人々を人格完成への道筋に誘う天命を生きた聖なる神人(高徳者)であったのです。 本当に徳高き人間は限りなく自我が薄まった人間であり、外見だけでは見破れない隠徳を積み重ねた人間であります。 従って身近な存在になっても狭い視野では、むしろ其の偉大性が見えなくなり、自我の固定観念では個人的レッテルの壁(決め付け)の前では、その自我の壁に阻まれて偉大性が見えないのです。 東京都内からでも天気の良い日には富士山が見えますが、そこから西走して丹沢山地に近付くことで富士山が見えなくなるのと同じ理屈であります。 親しき中にも礼儀あり…。 身近な存在に成れば成るほど、頭を低く腰を落として謙虚な姿勢を貫く心構えが必要になります。 人格の現状は叱られた時の本人の言動よりも、褒められた後の言動を見れば尚一層、当人の本性が現れやすいのです。 褒められたことを嬉しく思うことは良いとして、その後に驕り高ぶったり自惚れたりするなら、そこにはまだまだ人格者としては未熟であることを単に暴露している状態にあるのです。 徳者は褒められたなら尚一層、自己自身の心を鎮めて謙虚で着実な歩みを進めるのであります。 これは日本神道では鎮魂(みたましずめ)に該当して、中津瀬の精神(中庸・中道)を貫く心構えが禊祓いを通して神の子の自覚を取り戻す行法になっております。 徳性開発は大和精神を取り戻す為の中津瀬の精神でもありますが、徳性開発は人格完成への道を細分化した発展段階実践論として、21世紀の現代に降ろされた救世の法灯なのであります。 恐らく孔子が現代に降臨されたなら生涯を賭けて衆生の徳性を高める努力を続けるでありましょう。 それだけ現代社会の人心は荒廃して危険極まりない状態にあると言うことであります。 |