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093 批判癖の批判 |
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人の数だけの個性があり、人の数だけの個別の人生があります。 生まれ出た環境の違いは生き方に影響が出ます。 年と共に育った境遇は本人の性格に影響が出るでしょう。 十人十色、百人百様の生き方があり考え方があるのです。 様々な違いを心に抱きながら、社会人として同じ環境で仕事をするのです。 夫々に違う生活様式を持ちながら、公的立場では同じ作業をするのであります。 そこには社会人としてのルールがあり、公的人間としてのモラルもあります。 このルールやモラルは共同作業(共同生活)を送る為に必要不可欠な取り決めであり、尊い命を持ち寄った同じ人間としての暗黙の了解でもあります。 しかし現代人のルールは個人的な偏見に満ちております。 また現代人のモラルは固定観念に片寄っております。 これは個人の主義主張に拘り囚われる人間の醜い自己主張である。 そこには自分の意見(自己主張)が強すぎて他者に対する配慮が出来ない人間が増えてきたのです。 自己主張のみに拘り囚われる人間は他者に対する批判や否定が多くなります。 そうして一言目から批判中傷を繰り返す性格(魂の傾向性)に成るのであります。 自分と他人の意識の違いを話し合うことは、お互いの思想や哲学を育てることになりますが、自己主張のみを正統化する為に他者批判を繰り返す言動は、単なる批判の為の批判となっている。 そうして批判癖が悪習慣となって、周囲の人々を困惑させる迷妄者が毒を撒き散らすのです。 この迷惑が行き過ぎれば五毒(我欲・欺瞞・愚弄・下劣・傲慢)に酔い痴れて、他人が傷付こうが憔悴しようが容赦無い批判癖の批判を浴びせるのであります。 こうした迷妄者の言動は思想や哲学からは程遠く、これは意識の固着化であり生命の枯渇化であります。 本来の思想哲学は人間の魂を解放する方向に高められ深められるものなのです。 個人的な固定観念に閉じこもる思考回路は物質文明の袋小路である。 つまり意識の物質化・固定化を意味しています。 自分なりの考えがあるのなら人の数だけの考え方もあるのです。 その相違点や共通点を見い出しながら、思考を歩み寄せる手段方法を模索するからこそ、思想や哲学は進化発展を繰り成すのであります。 批判(他者否定)の為の批判には陽の当たる場所への出口が無く、和解する為の解答もありません。 自己主張を正統化する為の憐れな周辺汚濁に過ぎないのであります。 批判癖の批判に終始する人は、周囲の意見を捻じ伏せて叩き潰さなければ、自己自身の威信が保てない可哀相な人なのです。 |