|
094 弁証法の忘却 |
|
批判癖から派生する批判には、本来の思想や哲学の奥深さが感じられません。 従って周囲の人々は批判癖人間を敬遠するのであります。 批判癖に終始する人間を注意深く観察すれば、その論点が殆ど自己主張であり自己保身であることが分かります。 自分の立場を肯定する為の周辺汚濁から始まり、自分の都合を押し付ける為の自己防御に終わるのです。 そのため自己存在の尺度(固定観念)を越えられず、その認識の形式は自我流(自己中心尺度)を基準にした自己と他者の優劣による、優越感を得る為の迷妄言動に終始することになるのです。 それでも個人的な成長を臨み、日々自己研鑽する努力家であれば弁証法的な進化発展を果たすでありましょうが、批判癖に終始する人間ほど自己研鑽を毛嫌いして、むしろ周囲の総合的な精神レベルを自分の尺度以下に引き下げる言動が増えるのであります。 つまり批判癖人間は基本的に自分の魂を成長させようとはしていない。 これは常に自分(自己意識)が基準になっているからである。 そうして自分を顧みることが出来ない人差し指の思考回路になっているからである。 そうした迷妄人間は他者を批判することでしか自分の生き甲斐(優越感)を感じられない惨めな人間に成り下がっているのです。 ここに一欠片でも自己反省の余地が現れたなら、運命の歯車は利己心側に向かっていた回転を止める兆しが出てまいります。 小さな自己反省が反省回顧(今までの自分の言動を客観的に振り返り見る)となれば、利己心側に向かっていた運命の歯車を自らの意思で止める動きをするでしょう。 こうした運命の歯車の逆回転(利己心側に回っていた)を止める行為には、肉体的にも精神的にも摩擦が起こることを覚悟しなければならないのです。 この覚悟が持てない弱き精神であるからこそ利己心(我欲心)側から抜け出せない人生になっているのであります。 利己心側に向かっていた運命の歯車(魂の傾向性)は自らの甘えで構築してきた、言わば地道な負債心(迷妄心)の積み重ねであります。 それと同じだけの地道な返済心(明晰心)の積み重ねをすれば、精神の負債(借金)は徐々に消滅(完済)へと向かうのであります。 その為のアイテムとして弁証法を反省回顧に取り入れることをお勧めします。 今まで正論だと思い込んでいた自我流に自らの意思で反論を擁立するのです。 そうして更に正論と反論を併せ持つような、一段階ステージを上げた視点で融合論を模索する貴方であれ。 かくして正しい思想哲学は人間を遙かなる高みへと誘う道標になるでしょう。 その時に其れ迄の批判癖が役立つというパラドックスを体験するのであります。 要するに正しい運命の逆発想(反省回顧)をすれば人生に不要な経験は一つも無いということであります。 |