011 反省

(意図的な停止機能(ブレーキ)を掛ける習慣)

 

自己確立とは正しい基礎研鑽の習慣を身に付けることであります。

しかし現代人は便利な世の中で生きてきたため、悪しき習慣を身に付けることには躊躇なく行ってきたのです。

悪しき習慣とは魂の品位を貶めるような習慣である。

その様な生き方が人間らしいとか、悪しき部分こそ人間味を感ずるところであるとか、自己流で決め付けた我儘基準を振り翳して、自らの失態のみを正当化する人間が増えてまいりました。

これは正直に言えば自分で自分の醜い姿が見えていない(敢えて見ようとしない)証拠でもあります。

自らの足取りを顧みる習慣が無いなら、人は盲目のまま自分勝手な人生を押し通してしまいます。

いま自分は何処にいて何をしているのか、それに何時までも気付かないまま日々の惰性的な生き方で人生を送っているなら、突発的な感情に支配されて衝動的な言動が多くなることは当然の理であります。

人間は時折り立ち止まって反省回顧をしなければならない。

現状把握を怠れば、悪しき習慣は本人の心身を蝕み、更に周囲にも害悪(悪影響)を齎すことになります。

そうしてその事実にさえ気が付かないまま、悪習慣を繰り返して底無し沼にズルズルと落ちて行くのであります。

その悪態や醜態を、何時、誰が、何処で改めるのか…。

何時か誰かが何処で助け出してくれるだろうと、其の日暮らしを決め込んでいても、それを冷静な目で見渡す徳者たちから見れば、自業自得の哀れな結末に本人の意思で飛び込んで行く姿に映るのであります。

しかし其処で迷妄者が心の目を覚まして、いま自分は何をしているのかを反省したなら、其処が人生の迷妄道であることに気付いて、本人の意思で安易な下り坂から這い出してくることになります。

魂の品位を落とす下り坂は動力(人としての努力)が無くとも、重力(業の重さ)に従って加速度的にスピードを増して行きます。

その途中で意図的な停止機能(ブレーキ)を掛ける習慣が無ければ、人間の自由意思は盲目のまま地獄の奥底まで突き進んでしまいます。

ある程度の加速度(スピード)が増してしまうと、自重(業の深さ)に耐え兼ねて少々のブレーキでは停止出来なくなります。

人間の自由意思を正しい習慣として扱うか、悪しき習慣として扱うかは天地ほどの違いが出るのです。

反省することを毛嫌いする人間は、こうした自分の迷妄動向すら気付けないのであります。

 

 

 

  40 むすび大道 【天孫降臨編】 〇次元