013 思念 (思念とは自分を中心にした思いである) |
感覚は自分流の感性(尺度)であると言うことでしたが、この感覚は1日にして創り上げられたものではなく、長い年月を掛けて同じ習慣を繰り返すことで、徐々に創り上げられた魂の傾向性であります。 其処には自分が感じて認めた思いがあり、同じ思いを何度も繰り返し重ねて固めてきた念(思い込み)があります。 此処に心の習慣によって思念と言う精神の力を強めた結果として、魂に創り上げられた固定観念となっているのです。 思念とは自分を中心にした思いであり、自己の尺度(規準)を形成する為には有用な機能になります。 この思念を正しく善用すれば思想や哲学となり、人生や運命に立ち向かう基礎的精神にもなるのです。 しかし思念を間違った方向で悪用すれば我儘や自分勝手となり、人生や運命に凝り固まった障害を呼び込み引き寄せることになります。 心の法則(因果の理法)は善にも悪にも靡くのであって、その善悪の何方に靡くのかを規定しているのが、常日頃から心の中に思い込んで積み重ねた思念によるのであります。 運命は外部から襲い掛かる偶然の産物ではなく、心の内部に存在する自己自身の魂の傾向性が呼び込み引き寄せていた必然の産物である。 如何なる方向に思念を多く積み重ねるかで、蓄積された思念パワーが、その思念の性質と同等のものを、まるで磁石が引き付け合うように呼び込み引き寄せるのであります。 こうして見ると運命を嘆く気持ちは仕方が無いとしても、その運命を呼び込み引き寄せたのが自分の思念であるからこそ、自らの思念を反省し浄化したなら、運命を改善することも可能であると言うことです。 しかし大抵の人は自らの思念の積み重ねを棚に上げて、他者批判や責任転嫁を優先してしまいます。 これは本能的な自己保身が働いた状態ではありますが、この本能は人間の肉体生命を守る意思として働くのであり、人間の徳性(生長)には繋がらない一次元意識であります。 一次元意識は人間を二次元意識に引き上げる為の足場として構築(基礎研鑽)しなければならないが、視野の狭い人間は自らの隠れ蓑として一次元意識の中にドップリと浸かっているのです。 思念を間違った使い方で悪用し、自我我欲を貪る迷妄者も多い現代人には、思念の正しい扱い方を真摯に学ぶ機会が必要であります。 思い通りにならないことを何時までも嘆いたり怒ったりしているようでは、一次元意識に自縄自縛された奴隷(囚われの身)である。 自己反省を通して思念を客観視することが出来なければ、決して二次元意識の階梯を上げることも出来ないのであります。 |