021 観察 (反省なき観察は他者批判となり責任転嫁となる) |
前章で語られた一次元意識としての徳性開発は自己確立でありますが、二次元意識としての徳性開発は相対原理にあります。 相対原理とは自分と相手の違いを知るということであり、お互いの在り方や生き方を理解すると言うことです。 そうなると一次元意識に於ける反省という項目も進化を遂げて魂が昇華を迎え、自分の事(立ち場や自己都合)しか見えなかった利己的視野が外部に向いて、他者の言動を観察することが出来るような二次元意識に進化するのです。 しかしこの場合に一次元意識としての正しい自己確立が成されていなければ、他者を見る視点が何処となく偏見となったり、何時までも固定観念に拘り囚われてしまったり…と、どうしても観察力に実力の差が出るのであります。 それだけ自己確立としての正しい反省が重要であると言うことです。 従って自己確立は永遠の課題でもある。 人間にとっての在り方や生き方は多種多様であり、生まれ持った環境や境遇の違いによっては天地ほどの格差があります。 それぞれの思考や意見が違うのは当たり前のことで、むしろ同じ思考や同じ意見の相手を探す事の方が、現実的に見ても難しいのが現状であるのです。 人間関係に於いて他者の言動が気に食わなかったり鬱陶しく思うようでは、未だ一次元意識の自己確立が軟弱なままであることを知るべきであります。 かくして観察力にも実力の差が出るのです。 つまり二次元意識は一次元意識(自己確立)の状態によって、徳性状況が変わってくると言うことです。 自己確立に於ける反省回顧を怠るようなら、何処まで行っても観察力が高まることはなく、慧眼が磨かれることはないのです。 反省なき観察は其のまま他者批判となり責任転嫁となる…。 そうした人間には二次元意識は未だ遠い道程であります。 私心を退けた客観視(第三者的視野)を得る為には反省回顧が必要不可欠である。 二次元意識は一次元意識の基礎研鑽(努力精進)によって成り立つものなのです。 そのため観察力があるからといって自己流の解釈のみに拘り囚われる知識人には、人間本来の徳性が何たるかを掴むことは難しいと言うことであります。 自らの魂の傾向性を知らずして正確な反省回顧など有り得ないのです。 |