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024 理解 (理解は一次元意識の人間には有り得ない) |
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自己中心的な意識で社会を推し量る尺度は、個人的な世界観としては有用でありますが、複数の人間が混在する地上社会には、様々な尺度が混沌とした状態で犇いています。 こうした状況下(三次元世界)で個人的な尺度(一次元意識)を押し付ける行為は、閉鎖的な世の中を追求するような時代の逆行現象を、呼び込み引き寄せる危険な尺度になっております。 個人の意見は一人用の見解(経験値)であって社会の総意では無いのです。 人間社会に様々な意見が起こりうる理由は、総ての生命が個性化の自由を許されているからであります。 様々な意見(尺度)が虚空を飛び交う中で、自分だけの意見(尺度)に拘っている人間は、未だ一次元意識の呪縛に囚われの身となっている奴隷である。 しかし他者にも独自の意見が在るということを受け入れられる人間は、他者の意見を理解することが出来る二次元意識の人間である。 独自の意見(一次元意識)は社会の中で誤解や曲解に繋がっています。 これは単に個人的な許容量の問題でもあります。 狭い心で生きている人間ほど、他者の意見を受け入れられない箱庭(現実の世界)に生きております。 つまり人格としての器量(うつわ)が未だ小さい状態にあると言うことです。 小さなコップ(器)を私見で満たした状態では、其処に他者の意見を注ぎ入れる余地はありません。 要するに他人の意見には聞く耳を持たない状態であると言うことです。 そうなると理解と言うものが、一次元意識の人間には有り得ないのであって、少なくとも自分の意見とは違う見解も有り得るのだと想える意識は、それだけでも二次元意識の人間に魂が昇華していることを物語っております。 地上世界は数多の個性が共生する三次元世界である。 せめて他者の意見にも耳を傾けて、自分とは違う見解も在り得るということを理解することが出来る、二次元意識の魂心境を持ち合わせて致だきたい。 理解と誤解は、二次元意識(理解)と一次元意識(誤解)の器量の違いであることを、現代人は知識としても知る必要があるのです。 |