025 知恵 (知識の集積に明け暮れた旧知の迷妄を捨てよ) |
知識と知恵の問題は、新創世記の至る所で語られてまいりました。 知識は寄せ集めの材料に過ぎず、その材料(知識)の中から関連するものだけをピックアップして、組み立て役立てて行くことで、始めて知識は知恵となるのです。 つまり知識を寄せ集めているだけでは一次元意識の枠内に治っているだけであり、その知識を臨機応変に使い分ける心境が二次元意識の人間であると言うことです。 知識ばかりを寄せ集めて、知識量の多さを誇った20世紀の迷妄は既に終わりました。 旧世紀の人類は、知識を集積することが知性ある知識人だと誤解をしたまま、偽りの知恵を追い求め続けたのであります。 その結果、より多くの知識を得たクイズの正解者こそが賢者の如く扱われ、生きる百科事典の誉れを人々は栄誉と勘違いしたのです。 人類は21世紀に突入して、時代は大きく移り変わろうとしています。 集積の知性の時代は既に終わりを告げ、深奥義の智恵を掴むための霊性の時代が到来しているのです。 この意識転換を果たす為に旧知の迷妄を捨て去らねばならない…。 此処に古き価値観と、新しき価値観による、応戦と挑戦が巻き起こるのであります。 ますます度を越した凶悪犯罪は何を語るのか…。 原因不明の難病奇病は如何なるものなのか…。 頻繁に襲い掛かる天変地異は何を意味するのか…。 知識の集積のみに奔走した一次元意識の人間には、何一つ真相は分からないでありましょう。 それは取りも直さず一次元意識の魂心境では自己反省が出来ないからであります。 正しい反省回顧には相対原理(二次元意識)をも超えた多角心理(三次元意識)が必要である。 その為に自己自身の心の浄化を施す必要がある。 自分の存在を冷静な瞳(客観視)で見渡して、現状の己れ自身を把握することから始めなければならないのです。 貴方よ、先ずは汝自身を知れ。 つまらぬ知識の集積に明け暮れた旧知の迷妄を投げ捨てよ。 身に付けた保険(知識量)に依存する依頼心が、霊性の扉を閉ざした張本人である。 知識ばかりに頼る心が、深き真理を遮る鱗となって、純粋な真理の瞳を覆い隠していたのであります。 |