026 道徳 (人間社会で人間関係を通して学ぶ道徳) |
単純に人間真理を学ぶことは、個人の見解に応じて学びを積み重ねる学徳であります。 此処では個人的な尺度があれば、学徳を深め高めることは可能である。 学習し探究する努力さえ失わなければ、学徳は個人的な人徳となって香り高き人格者を育成することでしょう。 しかし個人的な学徳は基準が自分であるからこそ、万事に通用する真理としては未だ未完成な人格である。 自分一人だけで深め得る真理は、その学徳を極めたとしても、暴雨の中の一雫の雨粒にしか過ぎません。 滔々と流れる強大な大河も、大海に至れば己れの小ささを思い知らされるのです。 自分以外に多くの同朋が存在する。 様々な生き方があり、多彩な思考が展開する。 色々な解答を持ちながら、夫々の解決策を行使している。 学徳とは言え自分流の基礎研鑽だけでは大河も大海にすら辿り着けないのです。 複数の人が集まる人間社会の中では個人的な学徳が通用しない局面も出てきます。 価値観の違いは経験量の違いから枝別れてくる経験値の違いでもある。 つまり経験値の違いは其のまま人徳の格差にもなると言うことです。 こうなると自分だけの学徳では太刀打ち出来ないことに気が付くはずです。 それは取りも直さず他者の人徳も真摯に学ぶ姿勢が必要になると言うことです。 人間社会の中で学ぶべき貴重な精神は道徳であります。 人として学ぶ学徳(生きた智恵)に対して、人間社会で人間関係を通して学ぶ道徳は、不特定多数の人間が夫々の人格エリアを無碍に侵し合わない為のモラルであり、社会人として道を踏み外さない為のボーダーラインでもあります。 日々の基礎研鑽(学徳)を怠らず、それでいて他者の生き方・遣り方を学びとして魂に取り入れ、社会人としての道徳性を何処までも磨く貴方であれ…。 一次元意識の人間は学徳のみで満足しがちである。 二次元意識の人間は道徳をこそ極めるのである。 それが三次元意識の人間が持つ人徳へと魂を昇華させる常道であることを、二次元人間たちは知っているからであります。 |