029 把握 (一次元意識と二次元意識の境界線 |
自分本意では共感は得られないと言うことでした。 また独り善がりでは共感は有り得ないと言うことでした。 本来の共感の意味内容は、二次元意識の魂心境に立つものが、利他的感情で他者の気持ちを想い遣る心が共感の本来の姿であります。 その為に必要な基礎研鑽(一次元意識超越)は反省回顧であり、これは平たく言えば現状把握であります。 この現状把握を妨げているものが一次元意識としての自我我欲であり、自己都合による独善独歩である。 自分の存在が如何なる魂の傾向性と成っているのかを自ら知ることが最優先であります。 自己反省が出来ない人間は己自身の才能を過信する傾向があるのです。 驕り高ぶりは過信の権化であり、迷妄の餌となっています。 人間本来の純粋個性は光り輝く神の子の光明が具わっている…。 そのため煌びやかな装飾(過信盲信)を身に纏う必要がないのです。 見栄や酔狂で身に付けた装飾(隠れ蓑)を脱ぎ捨てて、人間本来の生命の実相を現し出すだけである。 貴方も心に蔓延った誤謬(隠れ蓑)を脱ぎ捨てよ。 然すれば精神は軽くなり、自ずと神の子の光明が放たれるようになるのです。 生命の泉に蓋をしていた心を浄化せよ。 それだけで生命の活かす力が泉の如く湧いてくるのです。 心の浄化とは禊祓いであります。 身に付いた誤謬(偽りの自分)を、一つずつ剥ぎ取って投げ捨てることで、人間の本来の姿(生命の実相)を取り戻すことが出来るのです。 そうして自分の事ばかり考えていた一次元意識を脱却して、他人の気持ちを正しく推測することが出来る二次元意識を得る事になるのです。 これは次元心境を高めなければ見えない風景があると言うことです。 目から鱗(偏見曲解)を剥ぎ取らなければ、物事の正しい真相を把握することが出来ないのです。 この正しい現状把握(二次元意識)は、人間の魂を遥かなる高次元意識に導く可能性があるのです。 もともと無限なる可能性を開かれた状態で創造されたのが人間の魂(個生命)でありました。 自分が自分が…と、自我ばかり張り巡らして御山の大将を気取る迷妄者には、自己反省(心の浄化)など縁遠い存在になっております。 自我心を取り去れるか取り去れないか…が、一次元意識と二次元意識の境界線になっています。 |