040 総体 (多角心理を心得た人間の徳性美) |
三次元人間としての美しさは、社会人としての公的意識で日々淡々と生きる姿こそ、多角心理を心得た人間の徳性美であります。 それは個体としての単体(一次元意識)を越えて、相対としての認識(二次元意識)を超えて、総体としての協和(三次元意識)を心掛ける者の潔い生き様であります。 自も他も超越した客観視で協和の心を深めたなら、やがてお互いを規定する姿形は必要がなくなり、相互を想い遣る気持ちが優先して、距離も時間も超越した心の交流(四次元意識)に入って行きます。 三次元世界が転生輪廻の生活道場に選ばれた理由は、一定期間だけ物質世界に属されて、その物質世界を超越した霊的世界の存在を、自らの意志で想起する為の生活道場として、最良の次元構造が三次元世界(物質肉体的世界)であるからです。 地上世界にドップリと自ら嵌まり込んで、魂の故郷である霊的世界をスッカリ忘れてしまった人間も多く存在します。 しかし物質世界に生まれたからこそ感じられる生命の故郷に対する望郷の念は、魂の奥底から響いてくる自発的な自己啓発であります。 当たり前のことが当たり前ではなかったと自発的に見い出せたなら、その悟りは借り物の悟りではなく本物の悟りである。 読んで学んだ知識のみではなく、実際に苦渋を通して魂が学んだ本物の教訓となる。 自分の意志で自分の未来を開墾する気持ちこそ、三次元世界に生きる人間の基本姿勢でなければならない。 個性体として生まれたからには全ての現象(因果律)は自己責任を放棄することは出来ないのです。 ましてや自己拡張(魂の生長)で責任範囲が広がれば、自業自得の責任範囲も同時に広がるものと覚悟しなければならない。 個人の見解であれば許された内容でも、他人との相対的な関わりに於いては許されない状況も出てくるし、総体的な立場に立ったなら総意としての強風も受け止めなければならないのです。 意識段階が昇華する度に試されるものは魂心境に応じた徳性力である。 運命をガッシリと受け止めるだけの脚力(基礎精神)と胆力(忍耐力・霊耐力)を日々淡々と磨いていなければ、多角心理が飛び交う三次元世界で確かな歩みを続けることは難しいのです。 つまり三次元意識の魂心境は総体としての使命役割を磨く境地にある。 こうしたことから現代社会を見回してみたなら、公的感性(三次元意識)で人生を全うする人が如何に少ないか…。 この事実に徳者たちは驚きを隠せなくなるのです。 |