058 善行 (時代の変遷に応じて善悪の基準が変わる) |
世の中に叫ばれる善悪の基準には幾つかの要素があります。 時代の変遷に関わりなく通用する絶対的な善は、其処に悪の入り込む余地が無い程の至極の善(光明)である。 この絶対的な至極の善は実相世界の立脚点で把握される真実の善であります。 また時代の変遷に応じて善悪の基準が変わることがあり、此処には地上世界に展開する時代精神が着眼点として作用してまいります。 旧世紀では通用した善の基準が新世紀では通用しなくなることもあり、これは人間側の知力や精神力が高まったり廃れたりする事で、許容される善悪の境界線(ボーダーライン)が上下するのであります。 更に精神世界の最下層に展開する善悪基準には、誠に不思議な感覚ではありますが悪の概念が見当たらないのです。 これは人としての正しい道を踏み外した悪魔や悪霊たちは、自分の悪行三昧を悪い行為だと認識していないと言うことです。 むしろ利己的感覚(自己中心)を着眼点とすれば、悪魔や悪霊たちの見解には悪業の自覚が見当たらないのです。 こうしたことから立場が変わり立脚点が違えば、善悪の基準も様々に変化する事実を知っておかなければならない。 地上世界に於いても社会人として集団生活に慣れている大人と、未だ小さな範囲内で楽しみや興味を追い求める子供では、良し悪しの感覚が違うでありましょう。 家庭内では許される我儘も社会人としては許されない言動になる。 家族内では愛嬌に感ずる子供たちの無邪気さも、社会の整合性の中では秩序や調和を乱す言動になる場合があります。 善悪の基準が曖昧なまま公私の区別も付かない人間が、得手勝手な自己主張ばかり声高に叫んだなら、世の中の善意や悪意の感覚が麻痺してしまうことも当然の事ながら有り得ると言うことです。 こうした世の中で善なる行為を貫くことは誠に至難の技であります。 お互いの心を配慮する気持ちが無ければ紛争は起こるべくして巻き起こるのであります。 此処に大和精神(五次元意識)が必要になるのです。 何時までも幼稚な魂心境では公的意識を知覚することは難しいのです。 全ての人間が魂の傾向性を高めて、大和精神(五次元意識)の魂心境を獲得しなければ、地上世界の混沌極まりない紛争は治らないのであります。 |