072 仏性 (臨機応変に小出し対応される菩薩行) |
七次元意識の更に上位段階は八次元意識になりますが、八次元意識の魂心境は正に光明そのものであり仏性そのものであります。 それから逆算しても七次元意識の魂心境は光明の照射せる光であり、仏性の具体的な働きである菩薩行であります。 その菩薩行には随所に仏性が見え隠れしています。 それが七次元意識の偽りのない真実の姿であるのです。 未だ魂心境が低い方が菩薩行の真似事をすることは出来ますが、姿形だけ真似ることが出来ても物真似は矢張り物真似に過ぎないのです。 張りぼてのメッキは何時か必ず剥げ落ちるのが自然界の物理であり、借り物の威信は何処まで真似ても借り物に過ぎないのであります。 本物の菩薩行は習慣(魂の傾向性)にまで高まるほどの地道な積み重ねを経過しておりますし、それが正に日々の修行として自然な振る舞いになるまで魂の性根に浸透しております。 其処まで魂心境が定着すれば、菩薩行は外見では既に菩薩行には見えないでありましょう。 その人の普段の性質として周囲にも受け入れられている…。 しかも其れが本人にとっては当然の行為言動として、周囲の人々にも認知されているでありましょう。 それだけ本来の菩薩行は、目で見える善行だけでは語り尽くせない程の隠れた努力精進の自己累積があるのです。 そうした見地から推測すれば、七次元意識の魂心境は、単なる物真似では似ても似付けない真理が実在するのです。 つまり累積の努力精進は其のまま神性仏性(八次元意識)に繋がっていると言うことです。 それが後の世で時代精神と成り得る七次元意識の魂心境の在るべき姿であります。 本物の人徳者は外見で理解できる何倍もの神徳を其の身に湛えて生きているのです。 しかし其の神徳は内部に隠されたまま適材適所に相応した時節に対してのみ、臨機応変に小出し対応される菩薩行(七次元意識)であります。 従って外見では七次元意識の魂心境を心に抱いて生きている人間は、その存在が誰なのか分からないことが多く、むしろ目立たない立ち位置で重要な御働きを無心に行使しているのが七次元意識の人間なのです。 我こそは如来なり菩薩なり…と、鳴り物入りで威張り散らすような人物は全くの偽物(物真似)である。 本物の菩薩は自然な振る舞いが、もう一つの働きとして目に見えない精神世界から改善の御手を施してくるのであり、外見には余り意味を成さない事実を本人自身が悟っているのであります。 |