077 徳力 (徳力は法力(宇宙の法則)に繋がっている) |
力の倫理に頼る者は、個別意識の力量に依存している迷妄者である。 個人の力を何処まで増しても、個我の自我力を超えることは出来ないのです。 自分の心の痛み苦しみを越えられない者は、他者に対する優しさや労わりが分かるはずはないのです。 本当の優しさは耐え忍びの先に存在します。 本来の労わりは心の傷みを克服した先に存在します。 ちっぽけな自分の力量に頼る間は、物理を越えた霊力の存在に気付くことはなく、些細な知力に依存する間は、道理を超えた神力の存在に気付くことは出来ないのであります。 七次元意識の人間は、天理に通ずる菩薩行を貫きながら理念の意識を其のまま発揮するのであり、その時に自己展開する光明の力量が神々の徳性を如実に現わし、どんなに苦境に立たされていても自然法爾の徳力が解決に導くのであります。 徳力は法力(宇宙の法則)に繋がっています。 徳力なくして菩薩(七次元意識)の魂心境を維持継続することは出来ないのです。 何故なら菩薩は神の子の自覚を極めた救導師であるからです。 徳を得る為に道具を手に入れたり資格を所得しても意味がなく、徳を高める為に高額な金銭を使ったり高名な知名度を誇っても意味がないのです。 寧ろ何物も持たず素のままの姿で、付着物(欲得願望)を浄化して霊性を磨くことで、徐々に徳力は高まるものなのです。 付着物を得ることではなく付着物を捨てる(禊払う)ことが、徳力を深め高める為の常道であります。 六次元意識の人間は神の光を受けて神力を発揮しますが、七次元意識の人間は神の光明と供に生きて徳力を発揮するのです。 あれこれと余計な詮索を繰り返す者は、まだまだ知識に依存した一次元人間である。 他者との比較対象に拘り囚われる者は、未だ損得に踊らされた努力に依存した二次元人間である。 社会の中で予定調和を他者に強要する者は、個人的な自我意識に傾倒した三次元人間であります。 人間社会の中で心の摩擦から生ずる魂の痛みは起こるべくして起こるのです。 その傷みを克服してこそ更なる高次元意識の世界に入れるのであり、中途半端な意識のままでは幾ら多彩な知力が有ろうとも、神力を知ることは程遠く、徳力を悟ることは有り得ないのであります。 |