078 他力 (真善美に対する自発的な歩み寄り) |
自力と他力の問題は、歴史上で長らく争われてきた内容です。 人間にとって何方が大切か…。 この解答は時折り闘争の材料に使われ、宗教の世界では宗旨宗派の線引きにも扱われてまいりました。 個性を持って生み出された人間である以上は、自発的な意思表示が必要になります。 そうでなければ人間は何処まで行っても操り人形である。 機械仕掛けの操り人形は、目的意識に対して24時間365日、ただひたすら働き続けることも出来るでしょう…。 しかし人間は生身の身体で、本来は思考回路も柔らかく温かい魂存在であります。 そうなると自力とはいえ意図的な意思表示と、適度な休息が必要になるのです。 こうした自己配慮が六次元意識以下の自主性に任せられています。 しかしながら霊性開示に他力は必要不可欠である。 邪まな気持ちや自分勝手な我儘は、自力を提唱する人間の驕り高ぶりであります。 それは自力の魂心境(六次元意識以下)を未だに超越していない状況であることを如実に物語っている。 本来の他力は自発的な善行の中にあり、能動的な愛行の中に発揮されるものなのです。 実相世界の神々は、人類救済の想いを抱いて実践行動を施してまいります。 その高貴な波長に自らの意識を融合させて、神の心と供に生きることが自力を超えた本来の他力本願であります。 この他力本願の本来の意味合いを悟った方々こそ、菩薩(七次元意識)の魂心境に達した人間であります。 ここ(七次元意識)までくると自力と他力は一つの力量となって、全く新しい展開を見せるようになるでしょう。 こうした大力量のことを金剛力(絶対力)と言うのであります。 この他力を個別意識の人間が解釈すると意識放棄に写るのです。 自発的な意識は自己存在に拘り囚われると、強欲となり専横となりがちである…。 そうした迷妄者たちが語る他力は其のまま依頼心となり依存心となるのです。 本当の他力は其処に自力の融合がある…。 しかも真善美に対する自発的な歩み寄りがある…。 七次元意識の人間は他力本願の真意を悟って、神の子の自覚のままに人生を生き抜く覚悟が出来ているのです。 |