087 法力 (霊界は霊力の世界であり神力の世界である) |
地上世界に生きる大半の人間は、個別意識に翻弄された力の倫理に依存して生きております。 その視点が固定的な物理の力学に始まり、相対的な比較認識の力量に頼って生きているのです。 何方が大きな力を持っているか…。 何れが多量の影響力を与えるか…。 相手よりも遠くまで進めるか…。 多額の金銭力を行使出来るか…。 思考回路が物理的理論(物対物)に終始するため、比較対象との競争意識は地上世界に支点を置いた力の倫理に依存しざる負えないのです。 どんなに強大な物理的力量を得たとしても、その全ては一つとして魂の故郷である霊界には持って帰れません。 霊界は霊力の世界であり神力の世界であります。 実相世界(八次元意識)に超入すれば、純粋理念の発露による法力が自然法爾の大力量を聖水の如く溢れ出してくるのです。 その聖水は無尽蔵の光明であり、果てしなく極みない慈悲慈愛の光明であります。 つまり法力というものは創造主(実相大神)の御神体そのものであり、精神世界の総てを貫いて地上世界の至る所まで行き届いた、総ての生命を生かし育む大力量(大生命)であるのです。 その大生命の生かす力に自らの意志で融和することで、個生命は神の子の自覚を持って日々生きることが出来るのであります。 実相世界から降り注ぐ光明を無心に受け止め、純粋個性のまま受け流すことで、人間社会に真実の愛が循環するのです。 貴方も受けたる愛を私益して留めず他者への愛行として受け流すべきである。 個別意識に固執する者は愛の流れを私利私欲の為の執着にしてしまうのです。 八次元意識の人間ともなると無尽蔵の光明を惜しまず愛行に転化するのです。 その愛の想いを人生全般に貫いて生き抜く覚悟があります。 そうした高次元意識(八次元意識)であるからこそ、法力そのものが自らの力量となって自然法爾の自己展開を見せるのです。 結果だけを見れば力の倫理が同じもののように見えても、其処に至るまでの経過は様々であります。 また同じ力の倫理が働いても、動機(原因)が違えば違うなりの霊世界に繋がって行きます。 強大な力量を誇っていても、裏側霊世界や低層地獄界に繋がっている方も多いのです。 |