095 果てなき進化に臨め
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高邁な理想を魂に抱く者の可能性は無限であり永遠であると語られました。 宇宙空間に限りがなく果てがないように、心の宇宙空間にも限りはなく果てもありません。 このことから人間の魂の進化生長には終わりがなく極みもないのです。 何処までも進化を望み、何時迄も発展を続けて良いのです。 但し利己的なプラス思考で事に当たれば必ずシッペ返しが起こり、我欲は濃い影を落として魂は退化へと向かいます。 姿勢が前向きであれぼ何でもありの迷妄者も存在するので注意が必要です。 何かに臨む姿勢は美しいが、邪まな動機で我欲の強いプラス思考は、迷惑な存在に思われるのであります。 人間が臨むべき方途は魂の進化である。 愛に叶った結びの心である。 我流への囚われ拘りは進化に非ず、魂の退化に他なりません。 損得への囚われ拘りも進化に非ず、心の迷妄に他なりません。 協調性がないなら本来は社会人とは言えないのです。 いくら他者批判が上手でも、批判は自己中心から派生する比較検討に過ぎません。 その比較をする基準が個我意識である以上は、心の閉塞意識が燻るだけで、魂の進化は殆ど有り得ないのです。 個我意識には限界があります。 窮屈な固定観念に括り付けようとしてきます。 つまり小言が多い人や指摘を繰り返す人は個我意識に毒された利己主義者である。 他人の粗探しばかりに時間を費やす人も居る。 悪視や偏見ばかりを繰り返す人も居る。 魂の生長は愛と調和の方向にのみ自己展開するのです。 何故なら愛と調和には必ず相手が居て、お互いの心が協調へと歩み寄ることで、始めて結びの心(愛と調和)が深まるのであります。 利己的な愛は既に愛に非ず、我儘な自己実現に他なりません。 我欲的な調和も既に調和に非ず、身勝手な横暴に他なりません。 現代のスフィンクスの謎解きは傲慢(我欲)と謙虚(協調)である。 この違いが分かっているようで解らないのが現代人の特徴であります。 |