096 無尽蔵なる泉となれ
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時代の大転換期に生きる現代人に突き付けられているものは傲慢(我欲)と謙虚(協調)である。 傲慢(我欲)は、魂が個我意識に片寄る人間が落ち込む魂の傾向性であります。 謙虚(協調)は、魂が調和意識に片寄る人間同志が育み合う魂の傾向性であります。 現代人は魂の自由意思の下に何方の意識を選択するべきか…。 その選択肢に注いだ経験と教訓によって人格の高下が別れ、霊格神格の深浅が試されるのです。 個我意識を選択すれば自己主張が強くなり、自我の塊は色濃い他者比較に明け暮れるでありましょう。 調和意識を選択すれば相互扶助が施され、自我は限りなく薄まりながら助け合い励まし合い労わり合う社会が構築されるのです。 個我意識には個の力量を越えられないが、調和意識には無尽蔵なる生命力が湧いて来るのです。 宇宙に遍満する実相大神の総てを生かし育む光明(大生命)を、個我意識の個人限定の容器で掬い取るか、調和意識の全生命共通の容器で掬い取るか…。 そうしてその容器を自ら選択した責任を果たさなければならない。 つまり個我意識を追い求めて固定観念を選択するからには、全ての結果を自らの責任として素直に受け取らなければならないのです。 しかし調和意識を選択して自らの我欲を薄めるなら、人類共通の大責任は共通認識に於いて、相互扶助の下に生かし合い育み合い労わり合うことになるのです。 要するに調和意識の共通認識は物事の解決がスムーズで早くなると言うことです。 またその解決策も多岐に渡る智慧を共用することが出来るのです。 個我意識は個人の力量にしか繋がってはいないが、調和意識の行く末は全生命を通して実相世界の神々と繋がっているのです。 だからこそ大生命の光明が無尽蔵に湧き出すのであります。 貴方よ、貴方自身が無尽蔵なる泉となれ。 尽きることなき聖泉(光明)を、迷妄に迷う暗黒の世の中に放て。 光を求めながらも自己限定の殻に籠る現代人の多くは、単に魂の故郷が霊界に存在することを忘れているだけなのです。 彼らに必要なものは、個我意識(自己限定)の外には遥かに開かれた霊世界が広がっていることを知ることである。 魂の奥底で神の子(光の子)の自覚を深めることである。 |