012 相手が居てこその感情起伏
|
感情的に物事を見る人には共通点があります。 それは自己自身の感情が波立つ原因が必ず本人の心の中に在ると言うことです。 自分側の心の中に在るのです、 つまり感情の高まりの責任(原因)は常に自分の内部にある。 これを逆発想すれば、自分の内部に存在しないものは感情として沸き出しては来ないと言うことです。 同じ案件であるのに、人によって感情的に成る人と成らない人が居ると言う現象結果が現れる…。 或る人にとっては何でもない日常茶飯事であっても、或る人にとっては心のヒダに触れただけで過敏に反応して感情的になるのです。 これは全く同じ案件でも人によって違いが出るのであります。 それは何故でありましょうか…。 同じ案件でも感情的な態度が出る人には、その案件に敏感に反応する的(根本原因)が心の中に存在すると言うことです。 またこうした的(根本原因)が多ければ多いほど感情的になるリスクが高まります。 感情の的を心の内部にブラ下げて生きている…。 そうしてその的を撃ち抜くような案件に引き付けられるように自分の方から赴くのです。 これもまた立派な心の法則(因果の理法)であります。 つまり感情が高まる時には自分の内部に存在する的(根本原因)に過敏に反応する相手が居る訳ですが、その相手にも人として良い部分と良くない部分が共存しているにも関わらず、感情起伏者(二次元意識人間)は自らの心の内部にブラ下げている的(根本原因)に即した一面しか、相手の性格を見ようとしない事実があるのです。 要するに感情の起伏(原因)は相手に在る訳ではなく自分側に在ると言うこと。 自分側にある感情起伏と同じ波長のものを自ら探してでも感情を揺さ振る心の傾向性が、自分側に在ると言うことを、潔く認めなければならないのであります。 こうした事実が見えないからこそ未だ二次元意識(しかも下向きな相対意識)の魂心境に留まっているのです。 一次元意識人間には自己反省が出来ない状態であると言うことでした。 二次元意識人間の自己反省は他者批判・他者裁き・他者否定に擦り変わり易いと言うことでした。 つまり自己内部の的(感情起伏の根本原因)に自ら気付く事もなく、周囲の人間の粗探しばかりに奔走することになる。 これは人徳者が冷静な客観視で眺めれば一目瞭然の現実であります。 |