013 自我を貫くだけでは感覚欲
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感情の根本原因(責任)は常に自分側にあると言うことでした。 恐らく感情的な人間は自己反省(現状把握)を怠るが故に、感覚的に感情が沸き出している状態となっている。 それは或る意味でオンオフ操作の機械と同じ動きであります。 自己自身の心の内部にブラ下げている的(敏感な根本原因)に或る種の信号が流れると、心の内部にあるスイッチが入って感情が噴出するのです。 ここまでであれば万民に具わる感覚・感情の自然作用である。 しかし此処からが人間としての真価が問われる領域になります。 心のヒダを刺激されて感情が噴出したなら、その思いの高まりを如何なる表現方法で言動に映すのか…。 ここに人間としての徳性が試されるのであります。 自分の立場ばかりを前面に出せば、周囲の人間の気持ちを無視したまま感情的な態度で威嚇したり慟哭したり…と、自我の思惑のままの我儘を押し通すことになる。 こうした人の感情は、感覚的(機械的)なオンオフ操作になっているだけで、その後のシーケンス(ケースバイケースの自己対応)が組み込まれていない状態であります。 そうなると事後処理としての心のフォローが効かない状態であるため、自己自身の感情に振り回された精神状態は正に混乱の極みを迎えるのみとなります。 その心の内部のキズ跡を癒すこともせず、益々荒れ果てた性格を直すこともせず、感覚的な自我を自己自身の感情だと勘違いしたまま、機械のように猛り狂う感情に振り回されているのであります。 自我を貫くだけでは感覚欲(一次元意識)である。 その自我の誘発を冷静に自己チェック(観察…二次元意識)することで、感情の起伏を抑えるキッカケとなるのです。 現状把握(観察)が無ければ感情のコントロールなど有り得ない話で、その後の自己統制(三次元意識)が育まれる可能性すら無くなってしまいます。 人間が人間で有り得る為には、最低条件として他者の存在を認知する意思が必要であります。 個性化の時代に自分流の遣り方や生き方は尊いですが、複数の人間が集まれば勢力図にも変化が起きて当然です。 その勢力図(自我認識)を臨機応変に変えられる人の意識は三次元意識でありますが、せめて自分の心の傾向性を精査する基礎努力(自己確立)と、相手の心の傾向性を認知する基礎精神(相対原理)を併せ持つ貴方であれ。 |