017 感覚意識は事務処理となる

 

 

波長(心の傾向性)同数の法則に支配されて、人生には出会いと別離が巻き起こると言うことでした。

自意識(一次元意識)と同じ感覚のものが、同波長として磁石のように呼び込み引き寄せ合うのであります。

しかし感覚意識(一次元意識)には自意識感覚(自我尺度)が自己展開するため、他者の気持ちを顧みることもせず、自分本意の事務的な処理を行うことになります。

作業性という片面だけを見たなら、自意識主体の事務処理は効率が良いし、事務処理能力も優れているかも知れません。

何故なら周囲の人々の意見も聞かず、独断で物事を押し通す一次元意識人間には、人として大切な心が見失われているからです。

そのため力の倫理に依存した強行裁決をしたり、権力や財力を利用した暴挙を無闇矢鱈に振る舞ったり、場当たり的な思い付きで周囲の人々を巻き込んだりするのであります。

それでも徳の高いリーダーであれば全責任を自らが背負って推し進めるが、徳の足りない一次元意識人間や二次元意識人間などは、思惑どおり我儘を行使する割には、その案件の責任を採りたがらない傾向が見られます。

責任を採れないなら自由意思は盲目的な迷妄意識でしかない。

責任を逃れるつもりなら自由意思は最初から行使するべきではない。

自分の事(自我我欲)ばかり考えている一次元意識人間には責任感が皆無であり、自分の利害(損得感情や優越意識)ばかり考えている二次元意識人間には責任転嫁(罪過の押し付け)が増えるのみであります。

高い事務処理能力は技術力ではありますが、それは地上的(物理的)な処理能力に他なりません。

白と黒を線引きして振り分け、明と暗を別物にしてレッテルを貼り付け、健常者と障害者を物の如く選り分けて差別をする…。

全てに心があり、魂の奥底で通い合うことを忘れてしまっているのです。

人間関係は異質な人間同志が相対する機会であり、お互いに学び合い助け合う精神を育む人生生活道場であります。

自分本意の事務処理を人間関係に持ち込むなら、人間の個性は堕落して、物の一つとして数えられることになります。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元