019 感情を深めるには心を解放
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人間関係を円滑に進めるものは心であり、お互いの心を開いて、魂の奥底にある人類共通意識を用いれば、意思の疎通は容易くなると言うことでした。 人間は個別意識に拘り囚われると、意識が自我(感覚)に片寄るため、心を閉ざして人類共通意識を見失うのであります。 そうなると他者との意思疎通が難しくなり、自分本意の我儘を押し通すことが増えるのです。 我儘は幼い子供であれば愛嬌も観じられますが、社会人となって其れなりの立場(責任)に在る人が我儘を行使すれば、それは社会秩序を乱す迷妄者として区別されても仕方がない…。 善良な市民の中に猛獣が紛れ込んだなら、人々の生活の安全の為に猛獣を確保駆除することは、民意に於いても善となります。 公的意識(三次元社会)の中に我儘(弱肉強食意識)な猛獣は共存することは出来ないのです。 仮に猛獣と共存共栄することが可能である場合は、猛獣側にも人間の気持ちを介する心が芽生えた時であります。 善良な市民の普段の生活の中に、無鉄砲な自我我欲意識の人間が飛び込んだなら、其処に事件事故が巻き起こるリスクが高まることは誰もが予想出来るでありましょう。 精神論が取り沙汰された高度成長期には、まだ人々の中に耐え忍びの徳が存在しました。 そうした時勢では自我我欲の自制が効き、人心を殺める所まで暴走する迷妄人間は少なかったはずです、 しかし現代人には耐え忍びの徳が薄れて、自我我欲の自制が効かない迷妄人間が多くなりました。 またそれの何処が悪いのか…と逆ギレする人も増えてまいりました。 そうしたトラブルメーカーが街に放たれ、好き勝手な言動を行使する姿は、正に善良な市民の普段の生活の中に危険極まりない猛獣が紛れ込んだ状態と同じであります。 こうした世の中で未来の宝とも言える可愛い子供たちを守り切れるのか…。 人類は正しく心を解放して人類共通意識を体現する時期に来ているのです。 心を自我意識で閉ざしたままでは、人の心の痛みや苦しみが分からないまま、迷妄人間は好き勝手な我儘を他者犠牲を気にも止めず押し通してしまうのであります。 |