023 思慮の進化した姿が他者考慮

 

 

思念と想念の違いを知るということは、或る種の悟りでもあります。

この場合の悟りは個人的な開眼とも言える小悟であります。

自我意識を尺度とする思念を克服する為には、自我意識を越えた客観視に成らなければ果たせない世界観である。

自分の正しい現状把握は、同じ尺度(自我意識)で見つめている内は、何も真相が掴めない状態であります。

どうしても一次元意識人間は、自我意識を基準に物事を見つめる傾向にあるため、正しい自己反省が出来ないのです。

二次元意識人間に至っては、損得感情や優越意識に翻弄されて、自らの失態を棚に上げたまま他者批判・他者裁き・他者否定を繰り返す傾向にあると言うことでありました。

こうした傾向は一次元意識も二次元意識も自我意識(自己限定の殻)の克服が、未だ出来ていない状態であることを物語っている…。

それでは一次元意識人間には何が足りないのか…と言えば、恐らく思慮が足りないのです。

思慮は自らの思いを何処までも深める作業であり、思慮が深まれば思想となり哲学となります。

この思慮(思いを廻らす作業)が浅いと単純な思考回路となって、正しい自己反省が難しい状態になるのです。

自己反省には習慣が必要であります。

それは思慮を深める訓練を積み重ねると言うことであります。

この思慮が進化した姿が他者考慮であります。

視点が自分から他者に移る訳ですが、その時点では自我意識が限りなく薄れた状態であることが望ましいのです。

この時点で自我意識が色濃く残っていたなら、他者への配慮に欠けた言動が先行してしまいます。

他者配慮には思慮考慮を通した心で、相手に対する愛の想いが優先するべきである…。

いつも他者への愛情が誤解曲解される人は、恐らく思慮考慮が十分に足りていないまま、場当たり的に形だけの愛情を押し付ける自分に気付いていないのでありましょう。

この部分を克服する為にも、反省回顧の習慣を身に付けることをお勧めします。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元