024 相手の心を察することが想い

 

 

思念と想念は根本的に性質の違った意識であると言うことで、自分を中心にして思い込みを展開する意識が思念であるに対して、相手を中心にして想い遣りを展開するのが想念であります。

そうなると思念と想念は全く違う方向に意識が自己展開して、過程も結果も全く違うものが実現すると言うことです。

自分の主観を前面に出して自己主張する魂の傾向性が強い人は、常に思念が心の領域を占めている人間である。

そうした人は自我意識(一次元意識)が強く根付いているため、万事に於いて事務的な処理は得意であるが、其処には人間として大切な心を何処かに置き忘れた機械的な性格の冷たさを感じさせるのです。

この様な一次元意識人間は現代人には多くなりましたが、自己主張を前面に出して自我意識を優先する社会には、人間関係に大混乱を招いております。

しかも我儘を押し通す一次元意識人間や二次元意識人間は、現状把握(自己反省)が苦手であるため罪の意識を抱くこともなく、自我の強さを意思の強さだと誤認して益々周囲に混乱を招くのであります。

思いは何処まで行っても個人の主観(自己主張)であることを知らなければならない。

思念(一次元意識)も想念(二次元意識)も、共通認識(三次元社会)では臨機応変に使い分ける徳性が必要であります。

公私の区別が出来なければ、優秀な自己主張であっても一次元意識止まりであり、高度な他者認識であっても二次元意識止まりである。

しかし本来は自我意識が基礎研鑽となり、相対原理が意識開化に繋がるのです。

何方も尊い意識であるが、使い分けが出来ない間は、未だ幼い魂心境であると心得なければならないでしょう。

自分の心を正しく扱うべきものが思いであり、相手の心を正しく察することが想いであります。

思いは一次元意識の表現形態であり、想いは二次元意識の表現形態である。

思念と想念の違いが分からないまま、社会人として世に立つことは危険行為である。

人間社会の心無い心的摩擦は、思いと想いの不理解から巻き起こっているのであります。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元