028 自分の意識に埋没する一次元
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一次元意識と二次元意識の壁は、安易な気持ちでは乗り越えられない険しい道であり、自我を超越すると言うことは自分を棄てると言うことではない…と言うことでした。 一次元意識人間の心の中には自分(自我)の意識が占めている為、他人の存在(認識)が入り込む余地が少ない状態であります。 そのため世間知らずの性格が現れ易く、自分だけの思い通りの生活を押し通そうとするのです。 その場合、他者への思慮(思い遣り)は期待出来ず、他人への考慮(観察…想い遣り)も期待出来ません。 仮に周囲への善事を施したとしても、一次元意識人間の魂心境の場合は、その善事は自分に有益であると感覚的に感ずるが故の善事(言動)になっています。 つまり一次元意識人間は、自分の意識に自ら埋没して、まるで蟻地獄に吸い込まれる蟻のような立場で、自我意識から逃れられない状況下にあるのです。 その点、二次元意識人間は他者を認識することが出来る分だけ、魂心境が上段にあると言うことです。 二次元意識人間の思考回路は感情がメインとなりますので、どうしても他者との比較考慮に迷うことが多くなります。 思念(一次元意識)と想念(二次元意識)はベクトル(魂の傾向性)が違うのであり、行動パターンにも違いが現れるのです。 自分だけの狭い視野で何処までも押し通す一次元意識人間よりも、比較考慮に迷いながらも相対原理の中で、感情的に一喜一憂する二次元意識人間の方が魂の学びは広く、魂心境の昇華(三次元意識への道程)に繋がり易いことも事実ではあります。 せめて現代人は脱一次元意識を果たさなければ、誠に恥ずかしい人生となってしまいます。 自分の心でありながら個別意識に拘り囚われることで、自我意識の横暴に操られる不憫な人生を脱却して、相対的な人間関係(二次元意識)の中で感情の起伏に一喜一憂する方が、遥かに文化的な社会人としての生涯を送れる筈であります。 こうした観点から一次元意識と二次元意識を見比べてみれば、二次元意識人間の方が人生に於ける魂の学びは多くなり、心も豊かに広がることになります。 そうした魂の傾向性を三次元意識に昇華させれば良いのです。 その詳しい徳性段階は、新創世記43巻に譲る事にします。 |