029 二次元意識は社会の一傍観者
|
一次元意識と二次元意識を見比べてみれば、二次元意識人間の方が人生に於ける魂の学びは多くなり、心も豊かに広がると言うことでした。 とはいえ二次元意識人間が魂心境を三次元意識に昇華するには、公私の区別を前提とした公的意識で、具体的な実践行動を手掛ける意志が湧いて来なければならない…。 なぜなら二次元意識人間は相対的な他者認識に優れてはおりますが、他者批判・他者裁き・他者否定に忙しい分だけ、行動が伴わない人が多く見受けられます。 他人の粗探しは上手にするが、自分の失態には見事に気付いていない場面が多くなるのです。 口先だけは達者であるが、自分自身の事となると余りよく見えていないのです。 想念の完成形は自他共に超越した客観視であります。 三次元意識人間が基本姿勢としている公的意識は、公私の区別を弁える客観視そのものです。 要するに二次元意識人間は利己的感性が色濃く残っているからこそ、未だ二次元意識としての魂心境に止まっているのです。 言うだけ番長(一次元意識)では、やがて周囲の親しい人からも距離を置かれる運命にあります。 事あるごとに小煩く罵声を浴びせる指摘人間(二次元意識)は、影に日向に危険人物の称号(レッテル)を貼られる運命にあります。 そうした二次元意識人間は、小さな忠告(指摘)にさえ感情的な憤慨を抑えられないのです。 しかもその事実(魂の傾向性)にさえ気付けないのであります。 そのため二次元意識人間は口数が多くなり、相手の話を十分に聞かず、片寄った知識を振り翳して、他者批判・他者裁き・他者否定を繰り返すのです。 行動が伴わない分だけ誰よりも成り行きを気にするのです。 だからこそ二次元意識人間の現状は、社会の中では傍観者側に立ち位置があります。 しかも小言を吐き散らしながらの傍観者であるので、或る意味では一次元意識人間よりも厄介な人種になります。 |