034 多様な意見は個性の自由から

 

 

個人的な見解は何処まで行っても個別意識(一次元意識)であって総意には成り得ないし、個人的見解(自由意思)には其の言動に於ける責任を、全て背負う義務が生ずるということでした。

そうなると個人主義そのものが重く苦しい主義主張のように感じて、自分の存在を蔑ろにするような人も出てまいります。

自分の事はどうでも良いからと、他人の喜ぶ事だけを行う布施魔のような人も出て来るのです。

こうした人は実は三次元意識の魂心境を得た方が、奉仕の心を優先するが故に、基礎研鑽である自己確立が疎かとなり、知育段階である相対原理も疎かとなった善人思考の三次元意識人間であります。

自分勝手な我儘を行使する一次元意識人間や、他者指摘に明け暮れる二次元意識人間よりは比較にならないほど、魂心境は高度な領域にいる訳ですが、彼らに足りないものは日々淡々と積み重ねる努力精進(自己確立・相対原理)である。

極端な個性化が高度成長期以降の現代人の多くを狂わせたことは事実ではありますが、個性化そのものは決して否定されるものではなく、むしろ個性としての純度(魂の純粋化)が進化することで、総意(共通意識)は見事に輝きを放つようになるのです。

この詳細は新創世記43(多角心理…三次元意識)で語られる内容であります。

文化の高みは個性の純粋化によって果たされるのです。

多様な意見は個性の自由意志から放たれる光であります。

我儘や偏見を押し通す個別意識(一次元意識・二次元意識)とは違った次元で、正しい個性化は培われなければならないのです。

萎縮や放棄では個性化は育たず、極端な躁化や鬱化も個性の行き場を見失うことになります。

何事に於いてもバランスが大切であり、豊富な経験値や知識量を臨機応変に使い分ける智恵を磨くことが、徳性開発が目指す魂の徳育になるのであります。

こうしたバランス感覚を磨くことで、真なる相互理解は現代社会に信頼関係を取り戻させることが出来るのです。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元