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040 理解と誤解は徳性器量の違い
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相対原理(二次元意識)に於ける理解について此処まで語ってまいりました。 本来の人間の霊性(徳性)からすれば、公的意識(三次元意識)でさえ低次元意識に該当すると言う事でした。 それでもせめて公的意識(三次元意識)の魂心境に達しなければ、本当のアセッション(霊性革命)のスタートラインにすら立てないのであり、徳性開発(アセッション)は魂心境を高める為の霊性開化(四次元以降)の時代精神を築くということ、故に公的意識(三次元意識)がスタートラインになると言う事でありました。 魂心境に於いて理解と誤解は全く違うベクトル(方向性)であります。 このベクトルは魂の傾向性に従って、個人の性質として現れてくる方向性であります。 普段の生活の中で自然に振る舞う癖や言動は、本人自身の魂の傾向性を如実に語っております。 いつも怒ってばかりの人も居ます。 つねに笑っている人も居ます。 愚痴や不平不満が多い人も居る。 涙腺が緩い人も居る。 自分の喜ぶ事ばかりを追い求める人。 他人を喜ばせる事を心掛ける人。 人の幸せを妬み恨む人…。 誰かの幸福を心から祝福する人…。 他人を見れば批判中傷に走る人。 全てに感謝して報恩に生きる人。 こうした性質が一方向に片寄り易いのが一次元意識人間・二次元意識人間の魂心境(魂の傾向性)であります。 なぜ片寄り易いのかと言いますと、一次元意識人間・二次元意識人間は客観的な現状把握(自己反省)と心の調律(軌道修正)が苦手であるからです。 自分の魂の歪みが全て正しいと思い込んでいる人間(一次元意識・二次元意識)には、反省回顧の習慣が見当たりません。 其の為に自我我欲に走り、他者批判・他者裁き・他者否定に終始するのであります。 こうした話を纏めると理解と誤解のベクトル(魂の方向性)の違いは、人間としての徳性器量の違いである。 普段から何処に気を付けて生きているか…。 何を心掛けて生活しているか…。 目的目標とするものが何なのか…。 どの様な人間に成りたいのか…。 様々な思い(想い)が日々の基礎研鑽(地道な積み重ね)となって、徐々に魂の傾向性は良くも悪くも構築されるのであります。 |