041 知識は寄せ集めの材料である
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知恵を語る時に必要となるものは知識であります。 知識は料理に例えるなら食材に当たります。 食材のみを綺麗に並べただけでは料理は作れない…。 美味しい料理を作る為には食材を加工して調理しなければならないのです。 細かく切り刻み、鍋やフライパンで煮炊きして、調味料で味を整え、美しく盛り合わせる。 何より食す人の好みに合わせて料理を作る事で、食材の一つ一つが料理の美味しさを引き立てるのであります。 知識と知恵の関係も、料理に於ける食材と調理の関係に似ております。 知識だけ豪華に並べても知恵には成り得ない…。 多くの単語を知っているだけでは記憶力が優秀なだけで、人を生かす知恵には成り得ないのです。 其の単語を臨機応変に使い分けることで、知識は味わいのある知恵に変身するのです。 記憶量を競い合った昭和・平成期には記憶力の大小のみが、人の価値を決める指標の様な時代でありました。 知識が多ければ崇敬すら集められたのです。 従って学校教育で学ぶものが、広範囲に及ぶ知識の収集となり、辞書やコンピューターに依存する学習が、学校教育に使われていたのであります。 多量な知識を溜め込んだとしても何も始まりはしない…。 16年にも及ぶ学校教育が社会で役立つ範囲は、基礎教育と専門分野であります。 しかも一般職務で使われる知識は限られていて、中学出身者でも大学出身者でも同じ作業をこなして行ける…。 また国家資格の大半が知識の記憶力で所得(合格)することが出来るのであり、実務経験に至っては内容の良し悪しに関わりなく、年数さえ重ねれば国家資格を得られるようなシステムとなっています。 こうした知識量での判断基準で甲乙丙を決めるシステムで、本来の人格の高下を現すことは不可能であり、知識(材料)だけで知恵(人格)は測れないことを知る必要があります。 知識は何処まで行っても寄せ集めの材料に過ぎないのです。 |