044 集積の知識は旧知の迷妄時代
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20世紀の軌道逸脱(間違い)は、知識を知恵だと誤解した所にあります。 知識の多さがステイタスの高さだと勘違いしたのです。 こうした魂の傾向は欲得願望に向かっている…。 旧世紀の飽食は知識欲であります。 集積の知識は寄せ集めに過ぎないと言う事でした。 自分流の価値尺度で知識のモノサシを当て嵌める知識人が、固定観念という呪縛(真実の価値を縛り付けている)で、世の中の価値基準を引き下げています。 これは認識力を固定観念として、独自の書式に無理やり押し込んだ報いである。 こうした固定観念(一次元意識)が時代精神を迷妄期にしてしまいました。 貴方は自分流(一次元意識)に拘り過ぎてはいないでしょうか…。 此れのみしかないと窮屈な囚われで思考を呪縛していないか…。 貴方は自己都合(二次元意識)に片寄り過ぎてはいないでしょうか…。 自分だけを優位に立たせるため誰かの自由意志を阻害していないか…。 迷妄時代に流行った知性の優位は、知識の集積に奔走する迷妄者の量産でありました。 知識の集積が其れなりの繁栄を果たしてくれたことも事実であり、知識を学ぶということ、知識を教えるということ、知識を肩代わりするということ、知識を売り買いするということ…。 この様な方向で知性の時代にも繁栄はありました。 しかし知識の追求は材料の集積であるが為に、物理的な道具は増えるが、その分だけ精神面が浅いまま、知識量の比較に於ける競争が始まるのです。 何方が優れているかを競い合う時に知識量の増減が基準となると、心的価値は後回しとなって、人格の深まりが難しくなるのです。 人間の徳性は人的価値の高揚であります。 知識を得ることは大切ですが、其の知識を使い分ける人徳の方が更に重要な知恵となる…。 人類は寄せ集めの知識に溺れ、心を驕り高ぶらせた旧世紀の迷妄を放逐して、新時代の幕開けを迎える時期に来ているのであります。 |