054 自分流の基礎研鑽では未熟者

 

 

個人的な自由意思は、誰にも迷惑を掛けない範囲でのみ許されると言うことでした。

個人的な学徳は未完成な人間に留まるだけであり、社会人である以上は、人間関係に於ける道徳をこそ身に付けるべきで、それが脱一次元意識・脱二次元意識の最低限の条件であると語られました。

学徳を磨く人が、自分の為だけの人生を生きるのであれば、魂修行は全て自己流となります。

自己流の基礎研鑽では自己限定の殻を打ち破る事はできません。

自己流は何処まで行っても自我を越えられないのです。

自我というものは個別の視野であり、個人的な思いが固まった固定観念を意味します。

固定観念は何十pの定規と等しく、その定規で測れる範囲内でしか知覚出来ない状態であります。

その何十pの定規(能力)を越えた案件は一次元意識人間にはお手上げとなる。

この場合、一次元意識人間は早々と測定(思考)を諦めて(投げ捨てて)、自分にとって興味が沸くものを見付けて、背後関係などお構いなく鞍替えするのです。

その定規(能力)を越えた案件は二次元意識人間には脅威となる。

この場合、二次元意識人間は測定対象(思考相手)の方に不具合ありと決め付けて、自分に都合の良い解釈で相手を批判中傷するのです。

こうした魂の傾向性は、三次元地上社会に於いては誠に病的な精神でありまして、常に平穏な社会に自ら障害を持ち込んで其の罪過を誰かに押し付け、周囲の評価を落とすことで、自分だけが息継ぎをするような愚行に走るのであります。

一次元意識人間や二次元意識人間の危険性は、自己自身の魂を磨く努力をしないまま、周辺汚濁(周囲を汚して自らの穢れを目立たなくする)を繰り返す所である。

こうした人間が三次元社会に現れると、危険なトラブルメーカーとして社会を混乱に貶めることになるのです。

自我流の基礎研鑽が、どれほど危険極まりないことであるか…。

此の様な個別意識の偏屈者に成らぬように、正しい基礎研鑽(反省回顧・軌道修正)を心掛けなければならないのであります。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元