060 道徳は人徳へ魂を昇華させる
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凡ゆる場面で公的意識を弁える事が出来るなら、自己認識に拘り囚われた魂の呪縛から解放されて、脱二次元意識は速やかに果たされると言うこと…。 社会人である以上は公私の区別は必須項目であると言うことでした。 学徳(一次元意識)を自己確立として深め、道徳(二次元意識)を相対原理として積み重ねて、人間として大切な人徳(精神基盤)を構築することが、転生輪廻の真なる意義なのです。 人徳の高まりは遥かなる高次元意識に繋がっています。 個別意識の超越を果たすことで、精神の物質化から解放されるのです。 魂が物質化に向かう者は、自己限定の自我尊重意識に呪縛された捕らわれの身となるのです。 何に捕らわれるのかと言えば、自分が…自分が…と、自我の塊(自己中心・自己優先)に囚われるのです。 自己中心は自分の事ばかりに意識が回り、自己優先は自分を守る事ばかりに思考が展開するのです。 結局は自我に呪縛された迷妄者たちは、周囲の人々の迷惑を顧みず、自分だけの損得に執着して、周辺汚濁の迷妄を繰り返すのであります。 二次元意識には二種類の人間が存在すると言うことでした。 一つ目の二次元意識人間は上向き(三次元意識に向かう)の二次元意識であり、二つ目は下向き(一次元意識に向かう)の二次元意識であります。 前者(上向き)は魂心境の進化する姿を現し、後者(下向き)は魂心境の退化した姿を現しているのです。 進化と退化は逆方向のベクトルであって、向かうべき方向性(行き着く先・辿り着く先)としては、在り来たりな表現ではありますが、上向きが天国であり下向きが地獄であります。 魂の固着(物質化)の深刻さは、心の法則(因果の理法)も相俟って、魂の現状に波長の合う霊世界と交流することになるため、本人が知る知らないに関わらず、地獄の亡者に操られる迷妄人間も存在すると言うことです。 下向きの二次元意識人間・或いは一次元意識人間は、本人が意図するしないに関わらず、悪霊悪魔に手先として操られる運命にあります。 そうして傀儡(操り人形)と化した迷妄人間は、地上浄化の為に天界から降臨した光明の天使たちの使命役割を、無意識(操り人形として)に邪魔立てする言動をさせられるのであります。 |