066 努力を放棄した日暮らし生活者
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努力精進の行使には忍耐力が欠かせないと言うことでありました。 しかし一次元意識人間には耐え忍びの精神が皆無であります。 苦痛や縛りに耐えられないのです。 例え其れが魂の昇華に繋がると分かっていても、困難を受け止める潔さは湧いては来ないのです。 そのため当然の事ながら、苦痛の無い安易な下り坂を簡単に選んでしまいます。 こうして努力を放棄した日暮らし生活が続くのであります。 一次元意識は感覚に頼る意識形態を尺度としがちである。 感覚は今だけの瞬間的な事実を感ずるのであり、常にリアルな世界を刹那的感性で追い求めるのです。 本来の感覚は刹那の中でしか味わえないもので、余韻に浸る思いは既に過去のものであります。 そうした刹那ともいえる感覚を、まるで永遠であるかのような余韻として味わう為に、一次元意識に埋没する人間は感覚陶酔に嵌まり込み、我儘な甘えん坊のように刹那を引き摺るのです。 こうして欲求は募り、執着は深みに嵌まるのである。 全ては努力精進を放棄した人間の自己陶酔であり、感覚尺度に依存する迷妄者たちの悲しい末路でもあります。 貴方は努力を放棄してはならない。 前向きな精進から逃げてはならない。 感覚に依存すると、苦痛も困難もリアルな感性として痛みを倍増させるのです。 忍耐力を磨く為には、感覚を越えた感情または心象に、魂心境を昇華させなければならないのです。 感情(二次元意識)には相対的な他者認識が具わっているため、自我尊重に片寄らなければ、或る程度の耐え忍びが期待出来るのです。 それは比較対象による優位性ではありますが、一次元意識の自我尊重に比べれば、数倍の忍耐力が発揮されるでしょう。 この耐え忍びの徳が無ければ、三次元社会の荒波を乗り越えることは難しいでありましょう。 努力を放棄すれば魂の生長が止まるどころか、即座に魂の退化が始まるのです。 下向き(一次元意識に向かう)な二次元意識を上向き(三次元意識に向かう)に変える為には、日々コツコツと努力精進を積み重ねる必要があります。 |