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071 自由意思には基礎研鑽が必要
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相対原理(二次元意識)を学ぶ際に、最も大切なポイントは、自他共に分かり合える共感意識であります。 共感とは共に分かり合える感性であり、各々の意識の共有である。 相手の気持ちを正確に理解する為には、自分自身の心の傾向性が如何なるものであるかを正確に知る必要があります。 自分がどの様な見方や感じ方をしているかを知っているか知らないかで、相手の認識に誤差が生ずることになります。 個人的な好き嫌いで相手を見れば、同じ相手の同じ状況であっても、好きな人には好きなように、嫌いな人には嫌いなように、良し悪しの軍配を挙げてしまうでしょう。 人間の感性は個人的な認識尺度に固まっている場合が多いのです。 自我を薄めることに成功した徳者であれぼ、自己限定の殻を打ち破って、正しい客観視で全ての世界観を見渡すことが出来る…。 そうした徳者の慧眼には、かなり純度の高い認識力が身に付いております。 正しい共感には個人的な思惑が入り込む余地がありません。 それは相手の気持ちを考慮し、相手の立場を配慮する者だけが、相互に分かり合える真理なのであります。 個人的な色眼鏡を掛けたまま相手の言動を見ても、その色眼鏡なりの尺度(色合い)しか見い出せないのです。 そこに在るものは偏見である…。 そこに展開するものは曲解である…。 個人の自由意思を尊重して、見方に於いても受け取り方に於いても、自分の自由ではないか…と割り切ったとしても、誤解曲解の迷妄が人生に付きまとうだけであります。 そうした人間の迷妄理解は、相互認識に於ける共感ではなくて、個人的見解による独り善がりの域を越えられないのです。 それはもはや共感ではなく強要であり、理解ではなく難解である。 自由意思には個人的な基礎研鑽が必要であります。 この場合の基礎研鑽は、やはり現状把握と軌道修正である。 自由意思を履き違えた現代人には、自己反省の習慣すらない…。 自分の失態を棚に上げて、他者批判・他者裁き・他者否定を繰り返す迷妄者が、日常の中で自らの醜態を恥ずかしげもなく晒しております。 |