072 相互理解は地道な努力の結晶
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個人的な自由意思には基礎研鑽としての現状把握と軌道修正が必要であると言う事でした。 それは自己自身の心の傾向性が分からないままでは、本来の意味での共感は有り得ないのであり、自分の色眼鏡の色合いに即したものは意識を共有することが出来るが、異なる色合いに於いては肌が合わないからと言って排斥するようでは、自我尊重に拘り囚われた自己都合人間であるのです。 二次元意識には二種類の人種が存在すると言うことでした。 上向き(三次元意識に向かう)の二次元意識は相対原理に於ける他者認識を深められるが、下向き(一次元意識に向かう)の二次元意識は相対原理に於ける自己都合に拘り囚われるのです。 従って自我尊重(一次元意識)に下降する二次元意識の魂心境は、損得感情に支配された自己都合人間に成り下がるのです。 これは二次元意識ではあっても、限りなく一次元意識に近い二次元意識であります。 真なる相互理解は地道な観察を繰り返し重ねる必要があり、同じ一つの事例であっても、時がズレたり場所が変わったり人が入れ替われば、意味内容が変化する事もあるのです。 そこで何故?…という疑問を持ち、どうして?…という観察を始め、どうすれば?…という洞察を深めながら、新しい事案に前向きに臨む姿勢が大切であります。 前向きな努力なくして魂の生長は有り得ません。 天才は努力しなくとも才覚を現すものだと思われているかも知れませんが、努力精進の無い才覚は、既に成長が止まった頭打ちの才能である。 真なる天才は無限生長の渦中にあり、永遠進化の一過程にあるのです。 現状の才能に驕り高ぶる姿勢そのものが、天才には程遠い性質であることを裏付けております。 それは天才の本質が結果ではなく継続(経過)であるからで、既に成長が止まった自我尊重人間には、天賦の才覚の欠片すら感じられず、努力精進の気配すら感じられない…。 それでいて負け犬の遠吠えの如く口数だけは多いが、自らの感情すら抑えられない人間を天才児と認定するほど、徳性開発は甘くは無いことを知る必要があります。 |