075 相手の立場を想い遣る気持ち
|
個別意識の自我尊重には自分と言う主役があり、自分を盛り上げる数多の脇役がある…という、自己中心的な思考が展開しています。 其処には他者に対する優しさや思いやりなどが、入り込む余地すらない状態であります。 そのため自分に優しく他人に厳しい性格が顕著に現れます。 人の心の痛みが感じられない処まで自我尊重が進むと、我儘な性格が何時しか他者へのイジメやセクハラ・パワハラ等に繋がってしまいます。 しかし一次元意識人間・二次元意識人間は、それが当然の事のように振る舞って攻撃の手を緩めようとしません。 悪事を悪事だと思えない状態にまでなると、感覚が麻痺をして悪びれず悪態を続けるのです。 むしろ自分だけが善だと思い込んでいる。 こうした悪態を平気で行うようになったなら、自制の効かない精神異常者と同じであります。 此処で彼が暫し立ち止まり、自らの悪態を見つめ直して、小さな自己反省でも行う余地があったなら、彼は断崖絶壁の先端で目を覚まして、自らの足下を冷静に見回すことが出来るでありましょう。 もう少しで危ない状態に突入するところであったと思い知ることになる。 いま目を覚まさなければ自ら崖の先にダイブするところであった…と。 こうした感性を取り戻すことが出来る魂心境が三次元意識人間なのであります。 自分の事しか考えられない一次元意識人間には有り得ない状況であり、自らの損得感情に終始する二次元意識人間にも難しい状況です。 従って自我尊重に拘り囚われる人間(一次元意識・二次元意識)は、イジメやセクハラ・パワハラ等の加害者側に立っている自覚が無いのです。 犯罪者としての自覚のない者が罪を重ねたなら凶悪犯罪になってしまいます。 こうした危険なリスクを自我尊重(一次元意識・二次元意識)は心に隠し持っているのです。 相手の立場を想い遣る気持ちが無いと、自我尊重の麻薬は克服することが出来ないのです。 自分本意な性格を改めなければ自我尊重人間の周囲には被害者が増えるだけであります。 そうした人間(一次元意識・二次元意識)には他者との共感は難しい現実であります。 |