084 自己反省をさせない過信盲信
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一次元意識人間・二次元意識人間の自我尊重が進むと、徐々に周囲の人間の気持ちが見えなくなってしまいます。 自分の不都合は大きく感じるわりには他人の不都合は小さく感じてしまう。 自分の痛みは切ないほど痛く感じるわりには他人の痛みは微塵も感じない。 自分の事となると敏感に反応するわりには他人の事となると呆れるほど鈍感になる。 こうした傾向が自我尊重人間(一次元意識・二次元意識)には頻繁に現れるのであります。 仮に自我尊重人間が魂心境を昇華させて三次元意識の魂心境に至る事があるなら、おそらく自我が限りなく薄まった時であるのでしょう。 自分側に向かっていた自意識が、方向転換を果たして他人側に向いた時であります。 自意識が自分側に向いている間は、自己尺度が全ての基準となるのです。 そのため自分の言動は全て正しくなり、その基準で周囲を見回す為、他者批判・他者裁き・他者否定が多くなるのです。 こうした心の傾向性も、自己反省(自己チェック)を通して見い出した時点で、脱一次元意識は果たされるのです。 更に自我尊重(自己中心)側に向かっていた心の淀みが、他者認識側に改まることで、三次元意識の扉が開かれるのであります。 しかし利己心の魔は自我尊重に対して執拗に襲い掛かり、自己反省が出来ない性格にまで魂心境を引き摺り下ろします。 その手立ては簡単で、自我尊重の欲得願望を増幅させて、心の中に過信盲信の自我力を募らせるだけである。 自意識過剰(過信盲信)は自らの意識が模範解答になっています。 その模範解答には自分の採点は存在しないのと同じになります。 模範解答は全て正論として扱われるため、常に視点が上から目線となる。 要するに過信盲信は利己心の魔が当人に自己反省をさせないように投入してきた毒酒であるのです。 一次元意識人間には利己心の魔を見破ることは出来ないが、二次元意識人間には他者を観察する意識(他者認識)が少なからず期待できます。 醜い姿や愚鈍な態度を他者に見い出したなら、それと同じ悪視(利己心の魔)が自分の内にも存在することを疑わなければならない。 他人の悪態に気付くには、其れと同等の悪意識が有るからこそ気付くのであります。 人間は意識内に無いものは直ぐ近くに存在していても気付き辛いのが現状である。 此処にも心の法則(類が類を持って引き付け合う)が作用してくるのであります。 |