085 傲り高ぶりは自己過信の権化

 

 

自意識過剰(過信盲信)は自らの意識が模範解答になっていて、その模範解答は全て正論として扱われるため、常に視点が上から目線となる。

過信盲信は利己心の魔が当人に自己反省をさせないように投入してきた毒酒であると言う事でした。

毒酒であると言うことは、自己陶酔状態に陥ると言うことです。

つまり感覚感情が麻痺すると言うことです。

何に酔い痴れるのかと言いますと自我尊重であり、この自我尊重が深みに嵌ると過信盲信(驕り高ぶり)の蟻地獄に落ち込むのであります。

いったん過信盲信に落ち込んでしまうと、そう簡単には正常な精神に戻れなくなります。

自己反省の習慣がない一次元意識人間が過信盲信の毒酒に酔い痴れると、周囲の忠告には聞く耳を持たず、身の破滅に至るまで爆走してしまいます。

これは二次元意識人間とて同じでありまして、他者批判・他者裁き・他者否定を繰り返す毎に、自らの心の浄化(軌道修正)が疎かとなって、形だけの自己反省をしても何も変わらず、翌日には元の自己都合人間(自己優先主義)にアッサリと戻っているのです。

長い期間を経過して繰り返し積み重ねた心の傾向性は、そう簡単に改変できるものではなくて、むしろ最も楽な性格(性癖を含み)に戻る事が、自然な成り行きなのかも知れません。

この最も楽な性格(心の傾向性)を構築したのは本人自身であり、長く同じ姿勢(悪癖悪習慣)を繰り返し取り続けた結果、その姿勢(悪癖悪習慣)が最も楽な性格(性癖を含み)となったのであります。

人間にとって驕り高ぶりは禁物です。

自己過信に陥る人間は自己反省(現状把握)が出来ません。

自惚れは軟弱な足場(精神)の上で、独り相撲を取ることと同じ行為でありまして、徳者から観たなら誠に危険な自傷行為に映るのであります。

自分で自分の魂を傷付けている…。

更に其の愚行によって身近な人々も傷付けている…。

悪霊悪魔に憑依されていることには一切気付かない…。

哀れな人間に成り下がっているのであります。

謙虚な姿勢を取り戻して致だきたい。

自分が基準(模範解答)であるような錯覚を捨てて、いったん心(自我)を白紙に戻さなければならない。

それが出来なければ生涯を通して自我尊重人間(一次元意識・二次元意識)から脱却出来ないでありましょう。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元