086 見栄や酔狂で身に付けた虚栄
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基礎研鑽を積み重ねてきた確信から自己確立を成し遂げた人間は、決して自惚れ(驕り高ぶり)などはしない筈です。 人格は1日にして成らず、地道な努力の結晶である。 コツコツと積み重ねた精神の糧を、個性に応じた基礎研鑽として魂を磨いてきたなら、基本的な姿勢は謙虚そのものとなります。 謙虚さの無い信念は、地に足を置かない不安定な確信であります。 こうした不安定な確信のまま自我尊重ばかり高まる者が、自惚れ(驕り高ぶり)の毒酒に酔い痴れ易いのです。 本当は本人の魂が一番よく知っているのです。 自らの現状が未だ幼い魂のままであることを…。 近くの誰かより劣っていることを…。 つまらない人間であることを…。 だからこそ尚更それを邪なプライドが認めたくないのです。 其れを認めることは自己自身の恥であることを心の何処かで感じているのです。 その本来の不能さが露見することが誰よりも恐怖なのです。 だからこそ先制攻撃で他者を叩き潰そうとする。 こうした心の真実は自己反省(現状把握)すれば自分で気が付くのです。 しかし自我尊重人間(一次元意識・二次元意識)は、それを認めたくないのです。 それを認めるということは、他者比較に於ける敗北を意味すると思い込んでいる。 こうした魂の傾向性が自我尊重人間(一次元意識・二次元意識)には存在するのです。 意識が自分側に向いている自意識人間には他者に対する思慮考慮あるいは配慮が足りない。 従って一次元意識人間は徐ろに他者攻撃をすることになり、二次元意識人間は間髪を入れない他者批判・他者裁き・他者否定に走るのであります。 もともと未熟な人格であるからこそ見栄を張るのです。 人間力が乏しいからこそ酔狂で誤魔化すのであります。 こうした虚栄心が益々、自己反省の出来ない魂の習性(傾向性)を積み上げている。 謙虚な姿勢を忘れる性格(習慣)を自ら積み重ねているのであります。 |