095 独善独歩は相対意識の否定

 

 

現代人に見受けられる個性(個別主義)は、自我の主権確保や利己的自由意思の専横に片寄り過ぎている。

こうした個人の自由のみを主張する時代には、どうしても一次元意識人間が増える傾向にあると語られました。

役割分担の方向(光明側に向かう)に個性を高め深め広げるのであれば、個別主義の拡大や増量は、衆生が認め渇望する偉大な個性体(理想的な人格者)と成るのであると…。

個別主義が尊ばれる最良の場面は、その貴重な個性を全体の繁栄の為に、貴重な役割としての個性を提供して貢献する場合であると言う事でした。

群れを嫌って一匹狼で生きていくということを変に美化された現代社会に、個人の主権のみを尊重して生きるのなら、山に入って静かに自給自足を楽しむしか無い…。

しかしそれでも人間は一人では生きて行けません。

国民としての税金は支払わなければならない…。

住まいを管轄する地域に市県民税も支払わなければならない…。

これは国民の一人として生まれ、社会人の一人として生きる者の権利を守るべき義務でもあります。

結局のところ人里離れた地域に一人でヒッソリと生きていたとしても、肉体を有する人間である以上は、生まれる際には誰かの介添えが必要であったし、死を迎えては誰かに身辺整理を委ねなければならないのです。

三次元社会の行政は其の為に機能している。

そうした事を想えば、人間は何処まで行っても一人では生きられない存在であります。

地上社会に生きる限り独善独歩では無理が生じて、相対的な人間関係の中で孤立はするが関わりは断てない状況である。

つまり相対意識を無碍に否定しては生きられないのが地上社会なのです。

自分流のみを貫いて山奥に閉じ篭っても、国家の一員である事まで否定することは出来ないのです。

要するに独善独歩は相対意識の否定に他なりませんが、元来一人では生きられない人間でありながら、他者批判・他者裁き・他者否定を繰り返す二次元意識人間(下向きな二次元意識)は、自由意思を履き違えたまま知らず知らずの内に、返って何処かの誰かに迷惑を掛けている存在であることを自覚しなければならないのであります。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元