098 二次元意識克服は公的立場

 

 

自分というものに拘り囚われている間は、物事の真相が見え辛い状況であります。

自我が強いと個性的な人間に見えますが、個性は我儘の追及に使われた時に物理的な足枷となる。

自我の強さは或る種の人間臭(物質化)も強くなり、意識の固着が進んでしまうと心の法則(因果の理法)に従って、具体的な体臭として物質化することもあります。

これは意識そのものが感覚化(一次元意識化)している状態で、具体的な臭いを発する側も、その臭いに拘り囚われる側も、同じ感覚(一次元意識)であることを現しております。

本来は感覚が鋭敏であることを無条件では喜べないのです。

自分の意識が何処に多く留まっているのか、留まり易いのか…を、自ら暴露している状態であります。

感覚的な人間は正直に言えば動物的感性に魂が片寄ってしまっている…。

それも一つの才能ではあるが、動物化(一次元意識化)は生命の退化に他なりません。

本来の人間の在るべき姿は動物化ではなく精神化で在るべきです。

より融通無碍なる精神の進化した姿こそ魂の故郷である。

動物化は個別意識(一次元意識)の方向にあり、精神化は全体意識(三次元意識)の方向にあります。

全体意識は人間社会に於ける公的意識であり、個から全(子供から大人)に魂が昇華する経過が、魂の進化発展する姿であるのです。

個人の意見に拘り囚われる人間の意識は一次元意識であります。

たとえそれを極めたとしても、社会人としての弁えが無いなら、むしろ人生の足枷となって人間関係に摩擦を呼び込み引き寄せることになる。

そうして其の責任までも他者に転嫁するようでは末期症状であります。

自分の醜態が見えない人間が最も醜い人間である。

自分の事ばかり(自分の立場ばかり)押し通して、相手の気持ちを阻害する心は、本来の神の子の自覚を見失った迷妄者の極みであります。

こうした片寄った魂の傾向性は早目に回避(自己反省→心の浄化)しなければ手遅れになってしまいます。

人間が社会人として目指さなければならない意識は公的意識(三次元意識)である。

この部分を踏まえないなら、人間の成長の行く末は裏側世界か暗黒世界であります。

 

 

 

  42 むすび大道 【相対原理編】 二次元