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【す】
過ぎ去れば 有り難きかな 智恵となる |
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感覚・感情・感性には慣れ親しみがあります。 時の流れとともに前者ほど早く慣れ、後者ほど遅くまで引きずる…。 意識が感覚側に片寄りがちか、感性側に片寄りがちかで、人間性は大きく変わってまいります。 感覚側に片寄るなら日暮らし人間(鉄意識…熱し易く冷め易い)になりがちで、辛さ痛さは激しく感ずるが、通り過ぎればキレイサッパリ忘れてしまうでしょう。 感性側に片寄るなら思慮深き人間(水意識…熱し難く冷め難い)になり、思考によって辛さや痛みを和らげたり、智恵の言葉によって自分の我儘を戒め説得することも出来るはずです。 通常は過去の大きな痛手より、現在只今の直接関わる小さな痛みの方が、遥かに辛く感じるはずです。 喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間であります。 だからと言って過去の痛手(経験)を全て忘れてしまうなら、学習能力の無い場当たり人間となって、同じ誤ちを何度も繰り返すことになります。 しかも痛手は徐々に深まり、底の無い泥沼に沈み込むことになる…。 地震の揺れが治まって良かった…と終わることなく、その地震の経験を智恵と教訓に変えて、いつ来るかも解らない大地震に備えるべきでしょう。 台風が過ぎ去ったから良かった…で終わることなく、次に来るであろう台風の対策を立てるはずです。 そうしたことと同じように、過去の辛さや痛手を検証(反省回顧)して、同じ誤ちを繰り返さないための対策を練っておくべきなのです。 総ての経験は智恵の材料であり、正しく検証(反省回顧)すれば体験は教訓の宝庫になります。 過ぎ去りし記憶を過去のものとして捨て去ることなく、正しく精査すれば貴重なアイテム(智恵と教訓)となって、遠く未来にまで連れ添う親友になる。 人間の意識は本来自由自在であり、感覚も感情も感性も臨機応変に使い分けられるのが、正しい人間の在り方でした。 性格や人格を歪めるも正すも、常日頃から積み重ねた習慣の成せる技であります。 この積み重ねの方向が、人間の原点(神の子)に向かっているか、または人間の迷妄(悪因子)に向かっているかで、その度合いの差が徳性の差異になって現れているのです。 徳性開発は難しいものではなく、誰にでも出来る小さな努力の結晶(積み重ね)である。 千里の道も一歩から…。 あれこれと能書きを並べるよりも、小さくても最初の一歩を踏み出し、更なる一歩を重ね続ければ良いのです。 その最初の一歩を未来の貴方が振り返り見たときに、大いなる貴重な一歩であったと感銘するでしょう。 徳性開発の基礎努力は心の主権を取り戻すことであり、神の子としての魂を真に開放することであります。 |
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