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【た】
楽しんで 苦難悲難と 戯れよ
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人生には随所に課題が隠されています。 その課題を一つ一つ解きながら徐々に魂を生長させるのです。 神は本人に解けない問題は与えないとさえ言われています。 なぜなら人生の課題は地上に生まれる前に、天国で(自分自身で…)決めてきたものであるからです。 心の法則からすれば、自分に縁のある全ての現象物は、総て自分自身の心の影である。 壁に映った影絵を見て、幼い子供が一喜一憂するが、その影絵に動きを与えているのが自分自身であると解ると、幼児は自分の意思で滑稽な影絵を創れるようになります。 様々に形を変える影絵の正体が解れば、現状の影絵(人生の課題)を克復できるのは、他ならぬ自分であったと理解されるのです。 それまで責任転嫁したり他者批判を重ねたりしてきた自分が恥ずかしくなります。 人生の創造者は自分である。 喜びも悲しみも幸運も不運も、元を辿れば自分の心に帰って来ます。 だからこそ立ちはだかる運命(環境・境遇)は前向きに受け止めるしかありません。 その人生の課題が、自分にとって如何なる意味合いを持っているかを、常に模索する貴方であれ。 そして目先の課題から一つずつ主体的に解いてゆく貴方であれ。 誰にでも悩みはあるが、悩みの正体を一言で言えば放置である。 不都合な状態を知りながら、現状の不具合を変革しないまま放置して、その対策を決め兼ねている状態が悩みであります。 現状の自分が出来ることから順序立てて始めればよいのです。 その時に迷い(放置)が起こる理由は、自分の都合ばかり思い惑うからです。 程良い妥協は諦めではなく、周囲の人々への配慮でなければならない。 自分の為だけに生きる者は心に融通性が無く、他者との衝突が増えて意固地なります。 人のために生きる者は思考にも柔らかさが深まり、他者との協調性が育まれます。 軽はずみなプラス思考は心根が浅い分だけ、いずれまた足下を掬われる運命にある。 反省回顧なき結果オーライの現実主義者も、やがて自分が虚しい風見鶏でしかないことを思い知らされるでしょう。 |
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