【て】 

 

手を添えて 支える人に 福来たる

 

 

《与えよ、さらば与えられん》

これはイエスキリストが語られた聖言です。

この聖なる言葉を現代人は間違って捉えがちであります。

与えれば与え返される…という表面的解釈だけでは、本来の真理から程遠い意味合いになってしまいます。

金銭を払えば代価として何らかの物品が貰えるというのは商法であり、そこにマージンを付加すれば商売になるだけです。

しかし商法も善意の消費が流れれば、大震災の爪痕を残す被災地さえも復興再建を果たせます。

これはもう与えれば与え返されるという表面的解釈を超越した、心の救済活動に該当するのです。

聖言を形だけ捉えれば、物だけ渡して代価を得るだけの話ですが、本来の真理(意味合い)からすれば、与えるものは愛の想いであります。

その愛の想いを表現するためのツールとして人は言動や物品を代用する。

ヨハネ福音書の冒頭には《初めに言葉あり。言葉は神と供にあり。言葉は神なりき。よろずのもの此れによりてなり。成りたるもの一つとて此れによらでならざるものなし…》

こうして常に想いが先にあって、あらゆる事物を通して愛を実現するということであります。

地上世界は物理的相対原理が主流になりがちですが、本来は魂主体(生命優先)の世界観が主流になるべきなのです。

記念日に渡すプレゼントは、祝福する想いを物的価値に込めたものであるはず…。

そこに心が失われると、物的価値そのものを渡す行為が主流になったり、豪華絢爛な高級商品そのものに高貴さを求めたりと、本来の心(愛の想い)が何処かに消滅しがちであります。

こうした迷いは相手を貴ぶ気持ちが自己誇示に変化した時に、本来の目的が失われて形骸だけが残ったということであります。

ボランティアをする人達も、困っている人を助けたいのが本意であるはずで、自分の成長や体裁のためではないはずです。

企業理念に社会貢献を掲げるなら、その想いを貫く為にも、それなりの覚悟が経営陣には必要になります。

まず人格(心掛け)を形成することが先であり、心が愛に満たされた人格者が人助けに動けば、心の法則に従って、求めずとも自然に同質の幸福が集まってくるのです。

 

 

 

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