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車の運転をしていると、自分が法定速度を守っていても、しきりに後方から詰め寄ってくる後続車がある。
車間距離は、せいぜい車一台分か、酷い後続車は数メートル(1〜2メートル)まで詰め寄ってくる。
十分な車間距離を保たない(保てない)運転手である。
彼らの運転の基準は常に自己中心である。
ましてや道路交通法など眼中に無いようである。
自分さえよければ何でも良いという身勝手、自分だけは事故を起こさないだろうという自惚れ、もしもの時には相手が悪いという無責任…。
詰め寄られた側(運転手)の気持ちなど考える余地もなく、クラクションを鳴らしたり、早く退けよ…と言わんばかりにジグザグ運転をしながら威嚇する、憐れな自己中運転手も居る。
こうした自己中運転手に後から詰め寄られたならば、安全地帯を選んで速やかに道を譲る方がよい。
そして出来る限り関わりを持たない方がよい。
なぜなら彼らはトラブルメーカーだからである。
車に乗ると人格が変わる人が稀に居るが、必ずしもそうではないのだ。
車という半自動機械に乗るからこそ本性を出してしまうのである。
もはや自家用車が一家に一台という時代は過去のものとなり、ほぼ一人に一台の新時代になりつつある。
車社会は、そのまま人間社会の縮図であるのだ。
人間も霊体としての貴方が、自動車という肉体に宿り(乗って)道路という人生を走っているに等しい…。
車社会の道路交通法は、人間社会では憲法であり、運転マナーは人としてのモラルである。
自分一人だけで気紛れに走って(生きて)いるわけではなく、道路(人生)には他車(他人)も供に前後左右に関わり合いながら、走って(生きて)いるのである。
自分勝手でワガママな運転が、他車(他人)に与える影響は無視していいのであろうか…。
運転マナーは、他の車への配慮ではないだろうか…。
これは一重に道徳マナーも同じことである。
他車(他人)に対する配慮こそ、人としてのモラルであるはずだ。
人間社会にありがちなイジメや人的摩擦は、まさにトラブルメーカーが主として巻き起こしているのである。
彼らは何故トラブルを起こし易いのであろうか…。
それは本人の得手勝手さを戒められないがゆえに、他者との程よい間合いを採れないのである。
車社会における車間距離を、人間社会における人的間合いとして採れないからこそ、相手を圧迫して突発的な事件や事故を起こしめ、無責任にも罪過を相手に負わせようとする。
こうした影の系図によって、イジメや人的摩擦は巻き起こっているのである。
本当の加害者はトラブルメーカーである彼らなのであるが、あたかも自分が被害者のように装い、加害者に仕立て上げた本来は罪無き被害者たちを、尤もらしく公然と裁くのである。
トラブルメーカーたちの精神面を覗いてみると、腹黒い渇欲で渦巻いている。
努力なき羨望、自己中心ゆえの疑心暗鬼、淀んだ灰色メガネで他者批判を重ねる極度の偏見…。
それは観るに耐えない惨状である。
ここで今一度くりかえし言うが、トラブルメーカーには気を付けよ…。
彼らには常人としての話し合いが成立しないのである。
仮に彼らと会話が成立したとしても、それは彼自身に都合が良いか、彼の歪んだ尺度に添った内容である場合が殆どである。
彼らにとっての良い人(他人)は、彼らにとって都合の良い人である。
こうしたトラブルメーカーは、自己保身の為だけの告口・陰口も多いので注意せよ…。
彼らの改心が望み難い理由は、彼ら自身が自己反省を怠るばかりに、それなりの悪波動に操られているからである。
だからこそ彼らの心の浄化には長い時間を要するであろう。
徳性開発を地道に積み重ねる人たちの、足を引っ張る愚行者も彼らである。
トラブルメーカーである彼ら(肉体人間)は、コンプレックスの塊りであるから、本来は気弱な性格の持ち主である。
だから相手にする価値もないが、彼らを背後から操っている悪霊波動は抗い難い相手である。
貴方が一定の水準まで徳力を身に付けるまで、無謀な反抗や言動は慎まなければならない…。
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