【わ】 

 

我れ独り 生くるにあらず 二人なり

 

 

心の世界が見えにくくなった最大の理由は、信仰心の本来の意味合いを忘却した人間側に責任があります。

神棚や墓前で手を合わせ参拝する儀式そのものが信仰心ではなく、その儀式に心を込めて祈る想いの中にこそ、本当の信仰心が芽生えるのです。

地上人間の都合で作られた儀式には、神様や御先祖様に対する配慮が忘れられつつあります。

もちろん神々は大らかな寛容さを持ち合わせておられますが、かつて地上に降りて人間として生きた御経験もあり、人としての感情も当然のことながら持って居られるのです。

つまり地上人間と同じ喜怒哀楽があり、御本人に対する信仰の扱いにも一喜一憂されるのです。

それでも徳高き神々は地上人間の諸生活を配慮して、隠身(かくりみ)で影に日向に導いて致だけるのですが、一柱ごとの個性が存在するということは、御本人に対する信仰心の高さに喜び、それとともに導いている地上人間からの信仰心の薄さや軽い扱いに淋しさをも感じられるのです。

神や仏に信仰を手向ける人は今一度、自分自身の都合もあって仕方ない部分もあるでしょうが、常日頃から影に日向に導いて下さる神仏の御心を拝察して、目には見えない世界であっても神仏の御心を配慮する気持ちを想い起こして致だきたい。

そこに神仏と地上人間との信頼関係も深まり、常に言動を供にして下さる神仏の存在を、身近に感じるようになるのです。

とくに人間には一人につき最低一体ずつ守護霊がいて、地上人間の諸生活を導いています。

どんなに孤独を感じている人であっても守護霊は常に寄り添い、本人の悩み以上に本人の傍らで供に悩んでいる。

大抵その悩みは本人の自我が薄まれば解けるものですが、迷いの中で自らの意思で選択肢を選ぶまで、守護霊は霊的なアドバイスを投げ掛けながら辛抱強く待っているのです。

供に歩んで下さる守護霊や指導霊の御苦労を想えば、自分の普段からの我儘が恥ずかしくなるでしょう。

幼な過ぎた心を反省して新たに出直す気持ちも湧いてきます。

21世紀を迎えた人類は、長らく文明から閉ざされた霊性を開く時が到来しています。

真なる岩戸開きは、心の法則を知らなければ果たせないのです。

 

 

 

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