【を】 

 

をつとめは 人を敬う 心なり

 

 

先の大戦(大平洋戦争)後、日本人から失われつつあるものが、神代期に始まった大和精神であります。

大和精神とは、天照大御神の系統を引く天皇制を中軸に置いた、天孫降臨による神の子人間同志の国家(家族)精神です。

この大和精神は、かつて国内に起こった幾つかの大きな内戦後も武家政権が受け継ぎ、御家奉公として明治維新後の企業精神にも反映されたはずです。

その名残は終身雇用制にも残されていて、大戦後に欧米から移入された自由思想に席巻され、一時期は高度な経済成長を迎えました。

しかし敗戦後の自由主義には麻薬とも言える個別思想が紛れていた為に、企業精神の根幹に当たる奉公の真意が、日本人にもよく解らないものになりつつあります。

個人の利権追求は根本的に仕事の概念を覆して、人徳の善し悪しに関わりなく、心無いサラリーマン(勤務時間に雇われる人)を大量生産したのであります。

会社の社長さえも多くは雇われ社長であり、社員を家族として預かっている責任感も無く、将棋か碁盤上の駒の一つぐらいにしか社員を認識できない多くの経営陣が、現代の日本政治経済を動かしています。

天孫降臨にルーツを持つ日本人であるなら、仕事に対する基本精神は奉公であり報恩感謝行であります。

生かされている我が身、満たされている可能性、

総ては既に与えられている。

我欲者は『俺は仕事をしてやっている…』と言うが、無欲者は『仕事をさせていただいています』と言うのです。

この心の差は天地ほど懸隔があり、働く姿勢も180度の開きがあります。

本来は勤務(おつとめ)の『お』は『を』の字を使うべきものであります。

平仮名の『わ』行は公で使われるべく創造された言霊でありましたが、近年に於いては『わ』しか使われなくなり、『を』の言霊も接続詞程度しか使われなくなりました。

その中間の『ゐ』と『ゑ』は、もはや使途さえも無くなっています。

ここにも現代の日本人が失いつつある大和精神の形跡が見え隠れするのであります。

 

 

 

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